ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想、息子の不登校のこと、自分の病気のこと(癌やパニック障害とか)等をつぶやいています。

最近、読んだ本。

『永遠のおでかけ』 

益田ミリさんのエッセイです。

 叔父さん、そしてお父さんを亡くしたお話が中心。

 身近な人を亡くすということ、波のように押し寄せる悲しみ、亡き人との思い出……そんなことが、柔らかにそっと描かれていて、静かに胸に沁みました。

 私はまだ両親も母方の祖父母も生きてますが、それでも、父方の祖父母や叔父が亡くなり、また数ヶ月前には同級生が亡くなりました。

 たまに故人とのやりとりを思い出し、切ない気持ちになります。

 父や母を亡くしたら、きっともっとずっと切ない気持ちになるのだろうな…と思いました。

 

 

なにかを処分したところで

思い出は失われないのだと思った。

 

 

永遠のおでかけ

永遠のおでかけ

 

 

『立ち直る力』

 辻仁成さんの『立ち直る力』。

 辻さんが息子に向けて書いたメッセージ。

 短い文章ですが、勇気や力をもらえます。

 口癖を「疲れた」から「頑張った」にしようとか。実際に職場で、疲れた〜という代わりに頑張った〜と言ってみたら、ちょっと元気になりましま(笑)。

 

陰口を言うヤツらは、表じゃなんもできんから、

陰で人の悪口を言うんで、そいつらの寂しい口を陰口という。

そいつらにいちいち反論してなんになる?

表で生きろ、

少なくとも、陰口を言わない人間になれる。

そのほうが人生、気持ちがいいだろ?

不条理な世界だからこそ、堂々と生きたらいい。

 

立ち直る力

立ち直る力

 

 

 

38歳になった。

  39度の高熱から復活し、台風明けの道路を通りながら、職場に向かった。昨日の嵐が嘘のように、晴れ渡った空である。

 職場に着くと、エアコンの室外機が飛ばされたとのことで、エアコンの電源が切られていた。9時頃はまだ爽やかな風が窓から入ってきたのだが、お昼に近づくにつれて、徐々に蒸し暑くなってきた。

 病み上がりの身にはこたえる……と水筒の麦茶を飲みながら耐えていると、事務所の1階だけはエアコンが直りましたという連絡が入った。ありがたい。9月に入ったとはいえ、30度超。まだまだエアコンがないと厳しい残暑である。

 

 病み上がりでいまいち調子が乗らないまま、1日が終わり、気付いたら、38歳になっていた。

 いつもと変わらぬ晩御飯の後、図書館で借りた本をパラパラと読んでいたら、「38歳」という文字が飛び込んで来た。多分、38歳になったからこそ目に付いたのだろう。28歳じゃ気にも留めなかった文章。

 

「戻れるとしたら何歳がいい?」

 同年代の友人たちと、若さの話題になると、

「38歳くらいがいい」

 だいたい、このあたりの年齢が出てくる。20代の人からすれば、もっと若いほうがいいんじゃないのと感じるのかもしれぬが、38歳なんてパッと見は30そこそこ。よく見たところで33~34歳。十分、若い女の子である。それでいて、強くなってきたなと、自分自身、ようやく感じることができる年齢である。

 いい人と思われたい、思わなければならない、という気持ちから解放され始める頃でもあった。

 若者は、自分が望む「いい人」のハードルが高い。理想の旗を振りつづけ、こりゃちょっと無理だわな、と一旦、旗を下ろすのが30代後半だろう。

 どんな人ともいつかはわかりあえるというのは幻想である。好きな人がいるのなら、嫌いな人だっていよう。誰かを嫌いになるのは、自分の中で大切にしているものが拒絶しているからなのだと考えれば、そりゃしょうがないなと肩の力も抜ける。

 

 益田ミリさんの『永遠のおでかけ』というエッセイの一節である。47歳になった著者の言葉だ。

 今、38歳になったばかりの自分には、この年の良さはまだピンと来ない。

 けれど、少しだけ、確かにそうかもしれないとも思う。強くなってきたのかどうかはわからない。ただ、理想のハードルが下がってきたり、嫌いな人がいてもいいと思えるようになってきたり……ゆるくなってきているのは事実だ。

 とりとめもないことを考えている内に、いつもと変わらぬ1日が終わっていく。息子の寝息を隣に聴きながら、今日もまあまんざらじゃない1日だったと思った。

 

 

永遠のおでかけ

永遠のおでかけ

 

 

 

 

 

 

久しぶりの高熱

 夏風邪をひいたかなと思った先週。

 仕事があったので、頑張って1週間を乗り切り、風邪の具合も良くなったと思った土日……。病み上がりの体で息子の外遊びに付き合ったのがよくなかったのかもしれません。

 昨日、頭重感と鼻グズグズの状態で仕事をしていたら、段々と体の節々が痛くなってきました。

(あ、これ、やばいパターンだ)

 と思いましたが、そういう日に限って予定外の仕事が入ってきて、てんてこまい💦。

 風邪薬を飲み、気合いを入れて仕事を終えて、帰宅したら……糸が切れたのか、関節痛が増してきました。寒気も…。

 洗濯物やら晩御飯の用意やら全ての家事を放置して、少し休んでから、よし!と保育園へお迎えに。

 

「明日は市内の小学校が休校のため、学童保育はお休みします。保育園についても、保護者の方がお休みの方はなるべく家でみてください」

 

 ドアに貼り紙がしてありました。台風の影響で、なるべく家庭保育をお願いしたいとのことでした。

 

 息子を連れて帰った後、いよいよ節々が痛くて、熱を測ると39度近い……辛い……。

 

 ありがたいことに夫がいつもより早く帰ってきて、晩御飯も作ってくれたので、助かりました。私より

家事能力が高い夫、いつも本当に助かっています。

(こんなに家事ができる男性はうちくらいじゃ、なんて思っていたけど、職場の男性陣の話を聞くと、意外とそうでないみたいで驚きます。奥様の方が仕事が忙しいというパターンも多く、子どもの送り迎えや料理、洗濯、掃除などは旦那さん担当という家庭も多いようで……まあ、そうでないと、共働きは厳しいのかもしれませんが……今の時代、育児や家事は男女を問わず必須スキルなのかもしれませんね…。息子にも、家事は教えておきたいなぁと思います)。

 

 そして、一晩経ち、私の熱は大分下がりました(^ ^)。まだ熱はありますが、関節痛からは解放され、苦しみは激減。

 

 今日は一日お休みもらいました。県内の学校も全てお休み、電車なども午後からお休み、夫もお休み、息子もお休み……。

  

 ゆっくり過ごして、風邪を治したいと思います。

一眼レフカメラは撮ってみないとわからない。

我が家にはカメラがコンデジも含めて何台かかありますが(夫一眼、私ミラーレス、コンデジ、息子中古コンデジ…かな)、そのうち一眼カメラが2台。

一つが夫の一眼レフカメラNikonのD7200です。

 

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もう一つが私のミラーレス一眼カメラ。SONYのnex5。10年ほど前に購入しました。

 

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 私はずっとミラーレス一眼を使ってきたので、気付かなかったんですが……(気づけ)、

 

一眼レフカメラでファインダー覗いても、ピントしか合わせられないんですね!

 

 …いえ、どういうことかと言うと、私のミラーレス一眼は、ファインダーがなく、液晶に映った映像を撮影します。その液晶画面で、絞り、露出、ホワイトバランスを設定して、あ、こんな感じのボケの写真がいいなぁと確認してから、シャッターを押します。

 どんな写真が撮れるかはあらかじめ液晶でわかるんですよね。

 

 しかし、一眼レフカメラは違いました(^_^;)

 

 設定がファインダーから覗く映像に反映されていない……つまり、撮影してビュー画面を見て、初めてどんな写真が撮れたかがわかるという…。

 

 え、一眼レフカメラ使ってる人って、絞りやホワイトバランスってどうやって決めてるのですか? 

 オートモードじゃない場合ですが…。

(でも、あれか、フイルムのカメラはそうでしたよね。現像するまでどんな写真かはわからなかったな…。だから、1枚1枚、何を撮ろうか吟味して撮影していたんだ、昔は)

 

 

 と、素人丸出しの発言です(^_^;)。

 もっとちゃんと勉強しよう……うん。

 

 

 

夏風邪。

先週末あたりから喉が痛いなぁと思っていたら、今週に入り、いよいよ本格的に風邪をひいたようです。

喉が痛み、声も出しづらい…。

職場で電話応対するのが地味に辛かったです。声があまり出ないので、ちゃんと聞こえていたかな。

 

でも、今週は大量の郵便物の発送準備という単純作業に没頭する時間が多かったので助かりました。あまり話さなくてもよいので。

 

そして、無心に行う単純作業が実は好き(笑)。

今回の発送準備にあたっては、いくつかの工程があり、ずっと同じ作業でもなかったのですが、少人数で地道に手を動かして……いい感じでした。

 

作業場から自席に戻ると………

 

……書類が雪崩を起こしていましたが(^_^;)。

まあ、仕方ない。ぼちぼち…と言っていると締め切りに間に合わないので、ある程度、スケジュール立ててクリアしていこう〜と思うのでした。

 

 

(でも、仕事より、今週末の土日、夫が仕事でいないため、一人で息子と遊ばないといけないことの方が今は負担だ……炎天下で虫探しとか……風邪はよ治れー)

 

 

 

圧力鍋(活力鍋)でピラフを焚いてみた

あささん(id:asanoomusubi)のブログの記事を参考に、圧力鍋でピラフを作ってみました。

 

鶏肉、ピーマン、にんじん、たまねぎ、しめじを細かく刻んで、鍋に投入。軽く炒めてから、米と水を入れ、塩とコンソメで適当に味付けして、火をつけました。

オモリがふれ始めてから加圧1分で火を止め、放置。

 

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しばらくして、圧が下がって出来上がり。

 

……水を入れすぎたのか少しべちゃっとしてしまいましたが、味は美味しくできました(^ ^)。

 

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圧力鍋でごはんを炊くの久しぶりですが、意外と、早くできるから、便利かもしれないなぁと思いました。

 

 

長崎のカステラ(松翁軒)

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 さて、昨日はカカオが入ったチョコラ―テというカステラを食しましたが、本日は通常バージョンを食べました(2本セットのお土産でしたので)。

 

 卵の味がふんわりと漂う、しっとりとしたカステラでした。そして、カステラといえば、底の砂糖のじゃりじゃり。美味しゅういただきました(^^)。

 

 今回、いただいたのは松翁軒というお店のものです。

 カステラの箱の中に、「カステラおぼえ」なる紙が入っていました。

 

 カステラはいわゆる南蛮菓子の一つであって、ポルトガル人が元亀2年(1571)年から長崎に居着いたとき、製法を土地の人々に伝授したのでございます。 

 

 1571年というと、織田信長比叡山焼き討ちをした年ですね。安土桃山時代。おお、大分昔ですね。

 

 この菓子はスペインに古くカステラという王国があって、そこのパンとして紹介されたのですが、長崎人はその国名だけをとって菓子の名としたのです。 

 

 へえ。カステラって昔の王国の名前なのですね。初めて知りました。そして、スペインのお菓子なんだけど、製法を伝授してくれたのはポルトガル人なのですね。

 

 弊店は天和元年(1681)に、初代山口屋貞助が本大工町(町名変更により現在の魚の町)に店舗を開き、長崎が天下に誇る砂糖漬やカステラを作り出したのでございます。 

 

 1681年というと、江戸時代。時の将軍は、徳川綱吉です。聞いたことある…何をした人だっけ?と調べてみたら、「生類憐みの令」を出した将軍でした。

 

 松翁軒では、このときに作り出したカステラの製法をずっと維持してきたそうです。すごい…。私が食べたカステラが、江戸時代にも同じものがあったなんて!

 

 カステラに歴史を感じた今日この頃です。