ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想、息子の不登校のこと、自分の病気のこと(癌やパニック障害とか)等をつぶやいています。

今日のよかった第33回〜息子とお散歩〜

 

昨日、息子がお腹が痛いと言うので、念のため、病院に連れて行きました。

 数日前は、いかにも風邪という症状で、その後、お腹の痛みだけ残っているようで。

 診察の結果、風邪がお腹に来たのでしょう、腸の動きが弱いです、とのことで、整腸剤をもらい、終了。

 

 その後、半日ほど、家の中で過ごした息子は、退屈そう……。熱もないし、と、少しだけ近くを散歩しました。 

 平日の昼下がりだからか…いや、田舎だからでしょうか、道行く人もほとんどいない……静かな時間が流れていました。 

 

 お天気も良くぽかぽかです。

 息子と手をつなぎ、ゆっくりお散歩。

 

 何だかしみじみと幸せだなぁと感じました。

 息子と一緒にいる幸せもそうだし、平日の昼間って、何だかそれだけで贅沢な時間に思えて、うっとりしてしまいます(^ ^)。

 

 

【太宰治】文化とは、優しさとは何か?(書簡本文から)

 以前、NHK知恵泉」の太宰治特集に関する記事を書きました。

 太宰が親戚の子どもに語った「学問がある人が教養人ではない。ひとのつらさに敏感な人を本当の教養人という」という言葉に深く共感したことなどをまとめた記事です。

 番組の中で、安藤宏教授が、太宰の書簡の中にも同じようなことが書いてあるとおっしゃっており、原文はどういう文章なのかなと気になっていました。

 先日、実家の太宰治全集から見つけることができたので、今回はその書簡原文を紹介したいと思います。

 

(↓これはNHK知恵泉太宰治特集の感想を書いた以前の記事です)。

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「文化」とは何か、「優しさ」とは何か~書簡原文から~

 該当する書簡(お手紙)は、昭和21年4月30日付の河盛好蔵氏にあてたものでした。

 河盛好蔵氏は、終戦直後、『新潮』という文芸誌の編集に参加していた方です。太宰は、当時、故郷の青森県金木に疎開していましたので、原稿執筆の件で河盛氏と書簡のやり取りをしていました。

 書簡本文は、全部で2,000字ほどありますので、該当する部分だけ引用します。

 

 文化と書いて、それに、文化(はにかみ)といふルビを振る事、大賛成。私は優といふ字を考へます。これは優れるといふ字で、優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ読み方があるでせう? 優しいとも読みます。さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら、さうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。私は含羞で、われとわが身を食つてゐます。酒でも飲まなけや、ものも言へません。そんなところに「文化」の本質があると私は思ひます。「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、敗けるものです、それでよいと思ひます。私は自身を「滅亡の民」だと思つてゐます。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学ぢやないのかしらん。

 

引用元:『太宰治全集12』筑摩書房 1999年4月初版第一刷発行

 

 NHKの番組で取り上げられていたのは、書簡のこの部分だと思われます。太宰は、文化、優しさについて言及し、文化は含羞(はにかみ)であるということ、ひとの「つらさに敏感な事」こそ、優しさで優れていると綴っています。

 この書簡原文を読み、私は太宰の弱者に寄り添う優しさと、文化や優しさが滅びゆくものであるという意識に興味を持ちました。「滅亡の民」という表現から、「斜陽」という小説が思い浮かびました。太宰治の終盤の作品である「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」などは、この滅びの意識や弱者や敗者の側からの物語が根底にあるような気がしたので……。

 でも、太宰の生きていた時代から70年も後の時代を生きている私が書簡から感じることは、太宰が当時考えていたこととは違うんだろうなぁとは思います。作家の意図と、読者の解釈の間に隔たりがあっても、別に構わないと個人的には考えていますが、一応、書簡が書かれた時代背景等も気になったので、調べてみました。

  

この時期の太宰治の生活について

 太宰治がこの書簡を書いたのは、昭和21年4月です。 西暦でいうと1946年ですね。太平洋戦争が1945年に終わったので、戦争終結の翌年ということになります。

 太宰は昭和20年に東京大空襲に遭い、妻の実家(甲府)に疎開していましたが、そこも空襲に遭ったため、青森県金木にある太宰の実家に疎開していました。そこで、終戦を迎えることになります。翌年の昭和21年11月まで青森にいたので、前述の書簡も、青森の生家で書いたのでしょう。

 太宰が玉川で入水自殺したのが、昭和23年6月ですので、死ぬ2年ほど前ということになりますね。

 簡単に年表でまとめますと、以下のとおりです。

 

  •  昭和20年(1945年) 太宰37歳(数え)
    7月、空襲のため、妻子とともに青森県金木の生家に疎開
    8月、天皇による終戦の詔。
  • 昭和21年(1946年) 太宰38歳
    11月、青森から三鷹の旧居に戻る。

  

敗戦後の「文化」に対する抗議という意味合い

 太宰治が「文化」について書簡で書いていたのが敗戦の翌年ということがわかりました。多分、太宰のとっての「文化」というキーワードを読み解くには、戦争、敗戦という出来事が欠かせないのかなと思います。

 この時期、太宰は他の書簡で次のように書いています。

 

 日本人は皆、戦争に協力したのです。その為にマ司令部から罰せられるならば、それこそ一億一心みんな牢屋へはひる事を希望するかも知れません。御心配御無用です。

 

 多分、戦争中は皆が日本を応援し、協力していたのに、いざ、負けたとなったら、手のひらを返したかのように、自分は戦争には反対だったと堂々と声を上げる周囲の文化人に、太宰は反発していたのではないでしょうか。

 その抗議の意味合いで、文化はハニカミであるとし(堂々と自分の意見を言う人間は信じられないと感じて)、弱者に寄り添うことこそ優しさだと言っていたのかな……と、これは、私の勝手な想像ですが、そんな気もしました。

 また、太宰治の実家は地主だったのですが(青森県第4位の資産家だったそうです)、終戦後のGHQによる農地改革で、地主制度がなくなり、衰退していきます。そのことも太宰の「滅びの民」という意識に影響してるのかなとも思いました。

 

当時の背景は知らなくても、心に響く言葉

  当時の時代背景を調べてあれこれ考えてみましたが(好き勝手に…。間違いだらけだろうな…^^; まあ、一解釈ということでお許しください)、けれども、当時の背景や、70年前を生きた太宰が本当は何を言いたかったのかわからなかったとしても、それでも、太宰治の言葉は心に響きます。

 今を生きている私の胸に響くのです。それってある意味、すごいことではないでしょうか。

 この現代に生きていて、ああ、何か世の中で生きにくいなぁ、うまく生きていけない気がする、自信が持てない……と悩んできました。思春期は今以上に悩んで、辛くて、毎晩毎晩、ひとりで泣いていました。

 そんな頃、太宰治の文学に出会いました。『女生徒』を読み、女性の厭らしさに辟易しながら、自分自身の女性性にがっかりしちゃう気持ち、ころころ移ろいゆく感覚、「美しく生きたいと思います」という理想など、あ、わかるわかる!と共感しました。また、『人間失格』の世の中に迎合できない主人公の苦悩やら、自意識をさらけ出したエピソードなど、色々考えさせられました。『駆け込み訴へ』のイエスに対するユダの愛情たっぷりな感じも、そういう捉え方もあるのかぁと興味深かったりしたものです。

 太宰の没後70年……、それでも、色あせない魅力が太宰の言葉にはあるように思います。

 

 

保育園に行きたくないと泣く息子

毎朝、保育園に行きたくない、お母さんがいいーと息子がぐずります。

あの手この手で連れて行きますが、今朝は保育園の玄関に座り込んで、ううう…と泣き始めました。

ギャーッと怒って泣かれるより、しくしくと泣かれる方が、こちらは辛いな…と思いながらも、必死になだめて、最終的には先生が連れて行ってくれました。

かわいそうに、という気持ちと、やばい、仕事遅れちゃうという気持ちと、親の私もパニックです。

 

(大体、急いでいるときに限って、ぐずります💦。私の余裕のなさが伝染するのでしょうか? 育休から復帰した1年目は、息子ギャン泣き、やばい、仕事が…と私も「もう無理ー、お母さんも泣きたいー、えーん」と家の玄関で私も泣きました(笑)。今は泣きはしませんが、泣きたい気持ちのときはあります)

 

そういえば、他のお子さんもたまに行きたくないと泣いてるのを見かけますが、保護者の方は玄関に置いて立ち去っていきます。

うーん、あのくらい、あっさり接した方がぐずらないのかな、と思ったり…どうなんでしょう。

 

私も子どもの頃、学校に行きたくなかった人間なので、息子の気持ちはわからないでもないです。そりゃ、家の方が居心地がいいでしょう……。保育園の方が家より楽しいって言われる方が問題だよと先輩ママの同僚に言われましたが…。

 

でもなぁ……あーあ。色々、複雑です。

 

「○○が保育園に行ってくれるから、お父さんもお母さんも働ける。ありがとう。今日は□□を作る仕事をしたよ。今度、一緒に見に行こうね。うん、○○が頑張ってくれたから、皆の役に立つものを作れたんだよー」

 

と具体的に仕事の話をすると、息子なりに納得してくれることもあります。仕事内容に関しては、ちょっと脚色してますが(笑)。嘘ではないからいいや。

 

「お父さんとお母さんが仕事してお金を稼いでいるから、ご飯が食べられるんだよ」

 

という話もします。これは…実際、そうなので。夢がないかなとも思いますが、これは現実。

 

はあ。

 

どうすればいいのかはわかりませんが、とりあえず、今日は早めに迎えに行きたいと思います。

職場から駐車場まで久しぶりに全力疾走しようかな。

 

 

さつまいもとかぼちゃのグラタン

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 さつまいもとかぼちゃのグラタンを作りました。

 まあまあ、うまくできたかなと、一口食べて、気付きました……味付けするの忘れた、と。

 素材の味しかしない!  

 仕方ないので、塩を少々ふって食べました。

 

 さて、金曜日。今週も終わりました。

 金曜日の夜、何だかとても眠いです。1週間が終わり、糸が切れてしまったようです。

 

 たくさん寝たいなぁと思います。おやすみなさい。

 

(おやすみなさい、で終わる小説があったなぁとふと記憶がよみがえりました。太宰治の『女生徒』ですね、確か……)。

 

 

 

スープジャー購入

 サーモスのスープジャーを購入しました。

 肌寒くなってきたし、温かい昼ごはんを食べたいですからね。

 今もサーモスの保温弁当箱を使っているのですが、スープジャーで汁物やリゾットを持っていってみたいという好奇心が……(笑)。

 

 でも、買ったはいいけど、スープジャーってどうやって使うんだろうというレベルです(^◇^;)。これから、レシピを勉強したいと思います。

 

 ちなみに、毎日、お弁当持参してます。夫は職場で宅配弁当を頼んでいるので、自分の分だけお弁当を作って持って行きます。

 私も職場で宅配弁当を注文した方が安いし、栄養も良さそうなのですが(地元有機野菜のおかず360円だから)、何となく習慣でお弁当持参しています……。何でだろ。

 

 

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息子の誕生日でした。

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 先日、息子の誕生日でした。

 普通のデコレーションケーキが好きではない息子。アイスケーキを注文しました。

 アイスケーキ専門店リタティーノというネットショップのものです。

 色んな味のアイスがあって、とっても美味しかったです(^ ^)。

 3人では一度に食べきれないので、冷凍して、また別の日に少しずつ食べています。

 

 そして、誕生日プレゼントは、仮面ライダージオウのドライバー等。

 仮面ライダーが好きな息子。いや、息子だけでなく、私も好きで、毎回楽しんで見ております(笑)。

(今期のジオウは、平成ライダーの集大成の作品らしく、今までのライダーが登場するストーリーとなっています。大学時代、友人が特撮好きだったため、勧められて少し見ていた仮面ライダー。響や電王あたりを少々。龍騎クウガも少しかじり…。当時、私は特撮はあまり興味がなく、ガンダムSEEDなどのアニメの方が好きだったんですけど……とオタクだったことを暴露しつつ……現在は息子と一緒に仮面ライダーを楽しむ日々です)。

 

 というわけで、プレゼントは仮面ライダーのおもちゃでした。

 一緒に変身ごっこして遊んでいます(^ ^)。

 

 

病院、結果。

 日曜日の昼から急に痛み出したお腹や腰、そして吐き気に関節痛。

 翌日には収まりましたが、念のために病院に行ってきました。

 

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  そこで、血液検査、腹部エコー検査、腹部レントゲン検査を受けてきました。

(7月に職場で受けた健康診断で、肝機能の数値が悪かったので、念のため、肝臓等を見る意味でも。…肝機能、昨年もひっかかりましたが、謎です、私、お酒は一切飲まないというのに💧。飲酒と肝臓は必ずしも関係ないのかな)。

 

 さて、本日の検査の結果は、異常なし!

 

 血液検査で炎症を示す値が高く出ていたので、どこかで炎症が起きたことは間違いないそうですが、ひどい病気レベルではないとのこと。

 

 とりあえず、風邪だったのかなぁという具合です。

 

 ただ、今回の風邪とは別に、7月頃から吐き気やえずきに襲われることがたまにあって、そのことも相談してみました。

  胃や食道の場合だと胃カメラをしないと何とも言えないとのこと。

 時間ができたら、胃カメラをしに行こうかなと思います。当日の朝、飲食しなければ、予約なしで胃カメラできるらしいので。

 

 さて、体の不調……とりあえず原因をひとつひとつつぶしとかなあかんなと最近、思います。30前後で体を壊したときに、色々な科を受診して体の病気ではないことがわかり、心療内科にお世話になりました。

 だから、何か不調があると、まあ、精神的なやつかなと考えてしまうのですが、年も年なので、本当に体の病気の可能性も否定できない気もします。

 

 現に31歳で胃がん検査に引っかかり、胃カメラを飲んだら、胃炎。

35歳で子宮頸がん検査に引っかかり、細胞検査したら軽度異形成という前がん状態でした。その後、1年くらいで正常値に戻りましたが…。(子宮頸がん検査、その後、生活で気をつけたことなど、また記事にしてみたいです。あの麻酔なしで細胞をバチンバチン取られる検査のこととか(笑))。

 

 なので、とりあえず胃カメラと子宮頸がん検査は今年中に受けに行きたいです……。つい後回しになっているのですが。

 

(でも、職場の同世代の人で何人かは癌になってるんですよね…。30代だから大丈夫とは言えないのだろうな……)。