「何の為にこいつも生れて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。」
実家の本棚にあった新潮文庫の「河童・或阿呆の一生」を取り出して、頁をめくっていると、ある頁の上の端が折ってあった。何か気に入った言葉でもあったのかな、と思いながら、見てみると、上記の言葉の箇所だった。
高校の頃の私が印をつけたのだ。そういえば、この台詞が何となく気に入って、ノートに書きだしたりしていたことも朧げながら思い出した。こんな台詞が気に入って? そう、あの頃は本当に憂鬱で人生が苦しくて仕方なかったのだ。高校生のくせに人生も何もないだろう、と訳知り顔の大人は言うかもしれないし、確かに今に比べたら、客観的な基準で言ったら大した悩みでもなかったのかもしれないが、主観的には、皮膚感覚ではひどく辛かったのだ。だから、標題の台詞は「娑婆苦に充ち満ちた世界」に生まれてきてしまった自分自身という意味で強く感じ入って、一人頷いていたというわけ💧。
ちなみにこのセリフは主人公の最初の子どもが生まれてきた際のもの。自分の子どもが生まれてきたとき、大体は嬉しいとか或いは戸惑いがあったりするかもしれないが、彼の場合はこんな気持ちだったのかな。
この「或阿呆の一生」は芥川の自叙伝……遺書のような作品なので、芥川が自殺に至るまでの心情が綴られている……のかもしれない。(芥川について研究したことないから、よくわからないんですが……)。
さてさて、しかし、今回、この芥川龍之介の遺書としての短編を読み返して感じたのは、……ものすごく色気のある文章を書くなぁという全然、違う感想だったりする^^;。
「死にたがっていらっしゃるのですってね」
「ええ。ーーいえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」
彼等はこう云う問答から一しょに死ぬことを約束した。
「プラトニック・スゥイサイドですね」
「ダブル・プラトニック・スゥイサイド」
プラトニック・スゥイサイド。 ……何だか妙に印象的な言葉だとか思っちゃった(笑)。
他にも心に残った言葉や文章がいくつかあったので、また次の機会に書いておきたいと思います。