39度の高熱から復活し、台風明けの道路を通りながら、職場に向かった。昨日の嵐が嘘のように、晴れ渡った空である。
職場に着くと、エアコンの室外機が飛ばされたとのことで、エアコンの電源が切られていた。9時頃はまだ爽やかな風が窓から入ってきたのだが、お昼に近づくにつれて、徐々に蒸し暑くなってきた。
病み上がりの身にはこたえる……と水筒の麦茶を飲みながら耐えていると、事務所の1階だけはエアコンが直りましたという連絡が入った。ありがたい。9月に入ったとはいえ、30度超。まだまだエアコンがないと厳しい残暑である。
病み上がりでいまいち調子が乗らないまま、1日が終わり、気付いたら、38歳になっていた。
いつもと変わらぬ晩御飯の後、図書館で借りた本をパラパラと読んでいたら、「38歳」という文字が飛び込んで来た。多分、38歳になったからこそ目に付いたのだろう。28歳じゃ気にも留めなかった文章。
「戻れるとしたら何歳がいい?」
同年代の友人たちと、若さの話題になると、
「38歳くらいがいい」
だいたい、このあたりの年齢が出てくる。20代の人からすれば、もっと若いほうがいいんじゃないのと感じるのかもしれぬが、38歳なんてパッと見は30そこそこ。よく見たところで33~34歳。十分、若い女の子である。それでいて、強くなってきたなと、自分自身、ようやく感じることができる年齢である。
いい人と思われたい、思わなければならない、という気持ちから解放され始める頃でもあった。
若者は、自分が望む「いい人」のハードルが高い。理想の旗を振りつづけ、こりゃちょっと無理だわな、と一旦、旗を下ろすのが30代後半だろう。
どんな人ともいつかはわかりあえるというのは幻想である。好きな人がいるのなら、嫌いな人だっていよう。誰かを嫌いになるのは、自分の中で大切にしているものが拒絶しているからなのだと考えれば、そりゃしょうがないなと肩の力も抜ける。
益田ミリさんの『永遠のおでかけ』というエッセイの一節である。47歳になった著者の言葉だ。
今、38歳になったばかりの自分には、この年の良さはまだピンと来ない。
けれど、少しだけ、確かにそうかもしれないとも思う。強くなってきたのかどうかはわからない。ただ、理想のハードルが下がってきたり、嫌いな人がいてもいいと思えるようになってきたり……ゆるくなってきているのは事実だ。
とりとめもないことを考えている内に、いつもと変わらぬ1日が終わっていく。息子の寝息を隣に聴きながら、今日もまあまんざらじゃない1日だったと思った。