実家の机の引き出しから見つけたノート。
読んだ本の中で気になった言葉を書き写したもの。読んでる本からして、多分、大学時代のものだと思う。
本を読むことで、色んなことを考えたり、共感したり、慰められたりすることが多々ある。
記憶力がないので、読んだ本の内容は大抵ド忘れしてしまうんだけど、こういうメモを読み返すと、あ、とそのときの心の断片を思い出したりする。
これからもなるべく読んだ本の内容や気になった文はメモしておきたい。
…まあ、最近はあまり小説を読まないんだけど(^_^;)。(筋トレやヨガ、体調改善のための本ばかり読んでる。。。お年寄りかって感じ(笑))
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。
書物は不変であって、いろいろな意見などはしばしばそれに対する絶望の表現にすぎないのだ。
『審判』フランツ・カフカ
カフカの三部作、読んだけど、内容を忘れた……。あかんねぇ。『掟の門』?という作品もよかったなぁとおぼろげな記憶。
僕自身が感じていたことも、彼女が感じたり考えたりしていることと同じことなのだが、ただ考え方が違うだけだった。
ガルシンの短篇集、戦争の話だったような……。感じてることはおなじなのに、考え方は人それぞれという言葉に、共感。
観想と行動とのどちらかをえらばねばならぬときが、かならずやってくる。
こういう選択、それが人間になるということだ。
『シーシュポスの神話』カミュ
神話をもとにした作品。不条理な世界を描いている。山の上まででっかい岩を転がしていく、でも、山の上に着くとまた岩は転がり落ちる。何度でも同じことを繰り返す。賽の河原みたいな……。
不条理だ。でも、不条理でも、何度でも行動していく……。ニーチェの『ツァラトゥストラ』を思い出した。虚無が溢れる人生、同じことの繰り返しだとしても、「よし、もう一度!」と積極的に引き受けていく姿勢。
(ニーチェ、高校時代に好きでよく読んでいたなぁ…懐かしい)
誰それは美しいだとか異常だだとか、みな、他人にとってそうだというだけなんだ。みんな食われているだな、他人というやつに!
『テスト氏』ヴァレリー
話の内容は忘れた(^◇^;)。
ただ、気になる言葉がたくさんある作品だった。
本って読んでも読まなくてもいいと思うんだけど、本に救われることもあったなぁと思い出した。何に救われるかは人それぞれだろうけど……。
あと、単に面白い!続きが読みたいって本もたくさんある。ハリポタやダレンシャンなど、リアルタイムで新刊が出るのがすっごく楽しみだった(^_^)。
…最近はそういうワクワクが少ないなぁ。健康本ばかり読んでるからかな(^◇^;)