ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想、息子の不登校のこと、自分の病気のこと(癌やパニック障害とか)等をつぶやいています。

35度超の真夏日

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夏休をいただき、午前中は休んでいた。

カーテンを開けただけで、強い日差しが差し込み、強い暑さが沸き起こるようだ。

昼前にニュースを見ると、午前中で早くも35度超の夏日になっていたようである。

 

私は暑さが苦手だ。パニック障害にかかったり、大きく体調を崩した時期から、暑さを異様に恐れるようになった。

多分、暑さで気持ちが悪くなったり、動悸がしたりと体調を崩すことが多いからだろう。外出の前から、もし具合が悪くなったらどうしようと不安になり、その不安が本物の体調不良を呼び込むようだ。

勿論、精神論だけでなく、実際に体調を崩しやすいのだが…。このブログでも書いているが、実際に熱中症になったこともあるわけで…気合や不安云々で対処できる域を越えることもあるのだ。

 

そんな感じであるからなるべく外出はしたくない。したくはないのだが、子どもがいたりするとそうも行かない。保育園にはお迎えに行かねばならないし、晩御飯の食材を買いにも行かねばならない。

 

重い気分をえいやっと振り切るように外に出た。

やはり、暑かった。車に乗り込むと、更に暑い。外気温は38度とある。げげーとその数値に挫けそうにるが、ここまで来たら出発あるのみ。

 

近所のドラッグストアとスーパーで買い物を済ませてきた。相変わらずドクドク心臓が波打つような動悸に襲われて、ソワソワした嫌な感覚になったが、そこまで体調不良にはならなかった。ほっと安堵する。

そりゃできることなら、こんな動悸や不安感からも解放されたい。元気いっぱいに外出してみたいし、そもそも、そのようなことを意識せずに生活していけたらと思う。

 

……けれども、もしかしたら、日々、無事に生きているという事実をもっと肯定的に捉えてもいいのかな、と少しだけ考えるのであった。できないこと、調子の悪いことに目を向けることをやめることはできない。ならば、良いこと、うまくいったことにも、少しずつでも目を向けていけるといいなぁと思う。

 

 

ぷよぷよすくい

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先日の休日に、福井市のハピテラスにたまたま行きましたら、子どものためのスーパーポールすくい、ぷよぷよすくいコーナーができていました(臨時のイベントの一環)。

 

プールに浮かぶぷよぷよボールを、息子がやりたそうにじっと見ていました。

でも、この手のぷよぷよは、紙のポイですくうとすぐに破れてしまいますよねσ^_^;。私が破れちゃうかなぁと心配していると、コーナーにいたおじさんが、「大丈夫だよ。破れないように作ってあるから」とおっしゃいました。

え、どういうことかしらと思いながらも、一回200円でやってみることに。

 

すると、本当に破れません。3歳の息子が無造作にすくっても全く破れません(笑)。息子は面白そうにいろいろな色のぷよぷよをすくっていきます。

ついにはボールにこんもりと溢れんばかりのぷよぷよが‼️

 

その溢れそうなぷよぷよを全てビニル袋に入れてもらい、持ち帰るときの息子の得意げな顔と言ったら……(笑)。

「僕、たくさん取れた。こんなに。一番上手だね」

と嬉しそうに話してくれました。

 

小さい子どものために破れない工夫を凝らしてくれていたコーナーの人に感謝です。ありがとう。

 

プラスマイナスゼロのコードレスクリーナーのゴミ捨てなど

前回の記事でご紹介したプラスマイナスゼロの掃除機についての追記です。

 

まずは、ゴミ捨てについて。

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この部分にゴミがたまります。くるっと回して開けますと……

 

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中はこんな感じです。

 

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真ん中にあるのがフィルター。この部分もさらに回して外すと……

 

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左側のカップに吸い込んだゴミがたまっているので、そのままゴミ箱にポイ。

下にあるのがフィルターです。

 

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こちらにもほこりなどが付着していますので、ティッシュなどでふき取ると取れます。ゴミを直接触らないと取れないのは、ちょっと難点ですね。

 

次に、バッテリーですが、

 

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バッテリーは取り外し可能なので、どんな場所でも充電可能です。

プラスマイナスゼロのコードレスクリーナー(掃除機)を購入した!

  プラスマイナスゼロのコードレスクリーナーを購入しました。

 

 我が家(2LDK賃貸)には普通のコード有の掃除機があるのですが、掃除のたびにコンセントに抜き差しして使うのが、億劫になっておりました。億劫になり、掃除機をかける頻度も減ってきており、うーん、まめに掃除機かけた方がいいよなぁと思っていたところです。

 

 そのためには、気づいたときにパッと取り出せるコードレス掃除機を買おう!と思い、いろいろ、調べてみた結果、プラマイゼロの掃除機を購入することにしました。

 

 ダイソンの掃除機にしようかなとも思ったのですが、最新のV8だと10万円近くするのでためらいまして、更に賃貸の掃除にはダイソンは別にいいか~と思いました。部屋も狭いし、毛足の長い絨毯も敷いていないので、ダイソンでなくてもいいかと。あと、通常のコード有掃除機はそのままなので、汚れが気になったらそっちを使えばいいやと。

 

 というわけで、小回りがきき、値段もお手頃、そしてスタンドがあり、部屋のどこにでも立てて置けるプラマイゼロの掃除機にしました。シンプルなデザインで、おしゃれだったというのもありますが…。

 

 届いてみて、早速、使ってみました。吸引力は弱めですね。ダイソンも実家で使ったことありますが、ダイソンと比べると5分の1くらいの吸引力って印象。ただ、もともと補助的に使う掃除機であり、普通にごみを吸う分には問題ありませんでした。操作もシンプルだし、小さめのヘッドで狭いところも掃除しやすかったです。

 

 ごみの捨て方については、うーん、サイクロン式ではないので(フィルター式)、フィルターを外すときや、フィルターにくっついたごみを取るときに、触らないといけないため、そこは少し気になりました。でも、まあ、シンプルな作りなので、掃除はしやすいです。

 

 あと、連続使用時間が70分というのはありがたいです。バッテリーも取り外せて、バッテリーだけどこででも充電できるのもよかったです。

 

 

 

 

熱中症になりかけた2017年7月の夏

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【私の体験談】

 昨日はとても暑かった。車に表示された外気温は38度である。うだるような暑さとはまさにこのことだと思いながら、よせばいいのに、海上自衛隊護衛艦を見に行くことになった。夫が興味があったので、息子を連れて…という具合である。

 駐車場から護衛艦までが遠かった。10分ほどなので、普段ならば何てことはないのかもしれないが、いかんせん、猛暑である。午前中であったにもかかわらず、影もない晴天の中を歩いていたら、それだけでどっと疲れてしまった。

 受付を済ませ、護衛艦を見学していると、終盤で「あ、やばい」と感じる。あまりの暑さに気分が悪くなったきたのだ。まだまだ乗船していたい夫に、早く降りよう…と伝えて、早めに船を下りた。

 しかし、やっぱり具合が悪い。気持ち悪くて吐きそうである。体も熱いような気もするし、しかし、汗がほとんど出ていないために余計に暑さを感じる。熱がこもった感じである。

 息子の世話は夫に任せ、もはや気合で駐車場まで歩いた。護衛艦の甲板は人混みのせいもあり、空気が澱んでいて苦しかったのだが、海辺は風が吹いていて、少し体調も持ち直した。風、というのは、とてもありがたいものだとしみじみ感じながら。

 何とか駐車場の車に戻り、エアコンをガンガン効かせて一息ついた。その後も、気分の悪さは残ったが、絶不調からは脱したようであった。

 

熱中症になりやすい体質】

 昨日の体調不良は、熱中症…とまではいかないと思うのだが、あのまま炎天下に居続けたら、確実に熱中症に移行していたなと思う。同じように行動していた夫はぴんぴんしていたが、熱中症というのはそのときの体調や、その人の体質にも大きく影響を受けるのではないかなと思う。

 私自身は熱中症になりやすい体質のようで、過去に何回か熱中症や暑さによる体調不良に悩まされてきた。もともと夏が苦手で、出産前までは夏は普通に生活しているだけで、夏バテで体重が3~4キロも落ちてしまい、体力もなくなり、一層、暑さでバテるという悪循環に陥っていた。

 夏バテで食べられない、胃腸も弱る、胃腸の消化不良で吐き気などが起こる、体調不良、熱中症という具合に負のスパイラルに陥ると、もう自分ではどうしようもない感じであった。

 出産後の今は夏でも体重が落ちることはなくなったが(それはそれで、まあ、太ったのかなぁと嬉しくないような…^^;)、相変わらず夏の暑さには弱く、気分が悪くなることも多い。もともとがそういう体質なのかなと最近は諦め気味である。

 

【対処方法】

 どうしたら、夏の暑さにも負けない丈夫な体になれるのか……と以前は考えていたのだが、最近は丈夫ではないということは認めた上で、では、どう暑さに対処したらいいのだろうかと考えている。

 とりあえず今の私が実践しているのは、以下のとおり。

・水分を持ち歩く。お茶だけでなく、ポカリスエットなどスポーツドリンクも。

・ペットボトルの飲料を凍らせて持っていく。溶けたら飲めるし、凍っている間は体に当てて保冷剤代わりになる。

・日傘をさす。ちなみに私が使っている日傘は遮光100%の日光アレルギー専用の日傘「サンバリア」である。(サンバリアについてはまた記事にしたいなぁと思います)。

・うちわや扇子などを持参。屋内の職場ではUSB扇風機を置いてある。風に当たるだけで体感温度は大分変わる。

・塩タブレットなど塩分を取れるものも持参。(あと、もともとパニック障害持ちなので、吐き気防止にミンティアなどのミント系タブレットも常備しているのだが)。

 

 とりあえずはこんな装備で外出するようにしている。しているのだが、やっぱり駄目なときは駄目で、暑さにやられるときはやられる。それはどうしようもない。何となくの経験では、疲れがたまっていたり、胃腸が弱っているときに、発症しやすい気がするので、事前に暑い中への外出がわかっている場合は、できるだけ体調を整えていくと多少はましになるのかもしれない。

 

 いかに熱中症を防ぐのか……これからもトライ&エラーを繰り返しながら、いい対処法を考えていきたいと思う!(また、倒れかけたら体験談としてアップします^^;。やってみてよかったことも書いていきたいと思います)。

 

 

 

 

 

 

「思考力」外山滋比古

  知識ばかりがあっても駄目、考える力、思考力を養わないと。そのためには学校の勉強ばかりするのではなく、スポーツをしたり、実際に行動してみて失敗を恐れないことが大事ですよ。

 という内容の本でした。筆者の体験談や思いを綴った本だなと思いました。思考力をつけるためにはどうすればいいのか客観的根拠は乏しいと感じましたが、思いを綴ったエッセイとして読むなら興味深いなと思います。




思考力

思考力

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩

 梨木香歩さんの作品はこれまでも『裏庭』『村田エフェンディ滞土録』『西の魔女が死んだ』などを読んでおり、結構好きな作家さんであったので、この「僕は、そして僕たちは…」も読んでみたいと前から思っていました。で、図書館にありましたので、読んでみることにしました。

 虫探しが好きな主人公のコペル君が、叔父のノボちゃんと一緒に、ユージンの家に行くことで物語が進んでいきます。ユージンは、死んだおばあちゃんの家で一人暮らしをしている、不登校の少年です。コペルとユージンは昔は仲がよく、ユージンの家でよく一緒に遊んでいましたが、今はユージンが学校に来なくなり、少し距離を感じています。そこにユージンのいとこのショウコが登場し、昔、おばあちゃんがいたこの家の庭の植物で葉っぱご飯を作ったことを思い出し、作ってみることに・・・。

 そんな感じで物語自体はユージンの亡くなったおばあちゃんの家の庭を中心に淡々と描かれていくのですが、そこに出てくる植物の描写や、間に挟まれる『思考』に惹きつけられました。

 この作品が伝えたいことは何なんだろうなと考えると、以下のことなのかなと私は思いました。

 

 ・「普通」、「大勢の側の論理」に違和感を感じたら、「自分」の頭で考えてみることが大事ということ。

 ・自分の頭で考えるためには、最初は集団から離れて一人で考える時間も必要だということ。でも、人が生きるためには群れは必要。「強制や糾弾のない許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れ」が必要であるということ。

 

 そういうメッセージを受け取りました。

 以下はネタバレを含みますので、ご了承ください。

 

 コペルが読んできた戦時中の本には、愛国少年少女が描かれています。途中まではコペルは自分と同じような子供たちだと思っているのですが、「鬼畜米兵」がとか贅沢は敵だということを言い始めると、ちょっと違う、この子たちは僕とは違うなと距離を感じています。

 戦時中に兵役拒否をし(実際には兵役免除にはなっている)、一人、山の洞穴で暮らしていた米谷さんというおじいさんの話があるのですが、当時の愛国少年少女や大勢の人々と米谷さんは対比の関係で描かれています。「集団」と「個人」の関係とも言えるかもしれません。

 

でも、人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動を取ったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人きりになって、初めて純粋に、僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次に、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ。

 

 と、米谷さんは言っていますが、この作品のメインテーマの一つはここだなと思いました。集団が正義をかざすときの危うさ、そのときに自分で考えることの難しさなど……。

 それは戦時中のエピソードだけでなく、AV監督に言葉巧みに騙されてしまった「インジャ」という女の子のエピソードからもうかがえます。インジャの事件については、コペルが後にこう考えたという形で物語の途中に差し込まれているのですが、そこでコペルは「普通という言葉が持ち出される場面のうさんくささについて」考えるべきだと考えています(このコペルの考えは、ユージンの家での出来事から時間が経過して、考えられるようになったんだろうなと思いました。ユージンの家にいたときには、きっとそこまでは考えられなかったと思います。ユージンの事件のことで大分、同様していたんじゃないかなと思いますし…)。

 

 大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも、違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が足がかりにするべきはそこだ。自分基準で「自分」をつくっていくんだ。

 他人の「普通」はそこに関係ない。

 

 これはコペルが自分自身で考えて導き出した気持ちなのでしょうね。

 それはユージンとコペルの学校での事件のことをずっと考えたであろうコペルが導き出し答えなのでしょう。「集団」と「個人」、「集団の正義や普通」と「自分自身の普通」についてこの対比構造は、戦時中の米谷さんのエピソード、インジャのエピソードで語られてきましたが、コペルにとってがんっと衝撃的だったのが、ユージンのコッコちゃんの出来事です。

 ユージンが飼っていた鶏の「コッコちゃん」が杉原という教師の、命の大切さを学ぶ授業をしようという提案により、しめられ食料にされてしまいます。クラスメートは興味津々といった感じで、やろうやろうという雰囲気になり、そのとき、コペルは何も言えずに、周りに流されてしまう。コペルだけが「コッコちゃん」がユージンにとって大切なペットであることを知っていたのに……。そして、その事件自体をコペルは忘れてしまっていたのです。

 ユージンの告白でその出来事を思い出したコペルは激しいショックを受けます。自分自身も戦時中の愛国少年少女と何ら変わらないのだと思い知らされたのです。

 

 つまり、大勢の側の論理に簡単に操られてしまうという、「非常時」という大義名分の威力に負けて、自ら進んで思考停止スイッチを押し、個を捨ててしまう

 

 自分の中にあるそうした部分、危うさに愕然としてしまうコペル。自分がユージンを傷つけてしまったんだと激しく後悔していて、そのショックのありようは本を読んでいる私にも伝わってきました。

 これまでの「愛国少年少女」と「米谷さん」、「AV監督」と「インジャ」という対比の中で、コペル自身は自分は後者の側だと無邪気に信じていたわけですから。それが「教師、クラスメート」と「ユージン」という対比構造にいたって、自分自身はユージン側ではなかったんだ、前者と同じだったんだと気づかされるのですから、相当衝撃的だったろうなと思います。自分が思ってきた自分自身の在り方が崩れちゃう感じかな、と。

 

 結局、集団と個人は相いれないというか、救われないのかな…、集団の胡散臭い正義の前では、個人は集団から離れることでしか生きていけないのかな…と考えてしまいました。コペルの出来事とは違うけれども、普段、なんというのかな集団に流されてしまうことってありますものね。

 

 でも、コペルは帰着点を見つけていきます。それはショウコがユージンに言った言葉や、そのあとノボチャンが語る言葉にも現れています。

 

大事なことがとりこぼされていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをしているのはかっこいいことでも強いことでもないよ。

 

無意識のうちに相手が閉めたドアなら、ノックして入っていこう、意識的に閉められたドアなら、入る必要もないドアなんだって思って先を歩こうっていうようなこと 

 

 そして、ラストで「インジャ」が皆のところに出てきたときにコペルの心の中の語りかけ…。「人がいきるためには群れは必要」ということ。

 

やあ。

よかったら、ここにおいでよ。

気に入ったら、

ここが君の席だよ。

 

 集団に傷ついて距離を置いたとしても、ずっとひとりでは生きられない。戻りたくなったら、戻ればいいのだし、戻ってきた人がいたら、温かく迎えてあげればいいのだ。そういう温かさを感じるラストでした。集団に引きずられて自分の思考を見失うな、けれども、集団は必要なんだという落ち着くところに落ち着いた感じがしました。

 

 

僕は、そして僕たちはどう生きるか

僕は、そして僕たちはどう生きるか