ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想などを綴ります。

又吉直樹「夜を乗り越える」を読みました。

 又吉直樹さんの『夜を乗り越える』という新書を読みました。又吉直樹さんというと『火花』で芥川賞を受賞 した芸人さんということは知っていましたが、『火花』自体は読んだことがありませんでした。ただ、又吉さんも太宰治が好きということを知ったので、何とはなしに「なぜ本を読むのか?」という帯に惹かれて、この読書について書かれた話を読んでみることにしました。

 

 又吉さんの読書歴や執筆の経緯、それから「なぜ本を読むのか―ほんの魅力」についても、きちんと答えていらっしゃいます。又吉さんにとって読書とは「感覚の確認と発見」だそうです。「感覚の確認」とは、普段から感じていること(でもうまく言葉にできないこと)を的確に表現されたときに感じる「共感」。本を読んだときに、私も同じことを考えていた、私と似ている…なんて思っちゃうのは、おそらく「共感」ですよね。これは私も本を読んでいてよく感じますし、わかるわかると思えた本はとても好きになります。

 一方で、又吉さんは「感覚の確認」の他にも本の魅力にはもう一つあるとおっしゃっています。それは「感覚の発見」だそうです。

 

本を読むことによって、これまで自分がもっていなかった新しい感覚が発見できることです。

 

 自分と同じだ、共感できるというのは楽しいけれども、それだけではなく、自分が持っていない視点、理解はできないけどそういう考えももあるのかと受け入れて考えてみること。それが読書の楽しみだし、重要なことだといいます。例として、カミュの『異邦人』が挙がっていましたが、「太陽がまぶしいから」殺人を犯す主人公に、確かに共感はできませんよね^^;。でも、どういうことなのかなと考えてみることは重要かもしれません。

 

 さて、そういえば、この本のタイトルは『夜を乗り越える』なのですが、これは死にたくなるほど苦しい夜を乗り越えるって意味なのかなと思いました。又吉さん自身も、どうして生きるのかとかいろいろ考えていたそうで、それもあり、同じように考え悩んでいた太宰治芥川龍之介の作品も面白いと読みふけっていたとのこと。

 その好きな太宰治芥川龍之介は自殺してしまうのですが、又吉さんは太宰や芥川に死にたくなる夜を乗り切っていてほしかった、乗り切った先で昇華した作品を読んでみたかったと言います。

 

その夜を乗り越えないと駄目なんです。

 

それを文学で昇華させるものを僕は読みたかった。太宰にも書いて欲しかった。彼らが生きていたら、あの時死のうとした自分を青臭いと笑ったのか。でも、これほどリアルな感覚を持っていた人達だからきっと笑わなかったんじゃないかと思います。じゃあなんて言ったのだろう。その言葉を読んでみたかったです。

 

 私もそう思いました。太宰治芥川龍之介には生き残っていてほしかったなぁと思います。太宰治は何で死んでしまったのだろうと思うわけです。苦しいのはわかる、もうダメだ生きていけないと思ってしまったのもわかる、けれども、でも、ぎりぎりのところで生きていて欲しかったなぁと思うのです。

 

 又吉さん自身は乗り越えようとしているのだなということは、文章の端々から感じられました。少年期、青年期の悩みに対して、人はなぜ生きるのか、なぜ死にたくても生きていくのかについて、真剣に考え続けている人なのだなぁと思います。

 

 大人が若者に偉そうに言います。「お前の悩んでいることは大人になったらどうでもいいことだったとわかる」と。どうでもいいことに気づくことを成長みたいに言わないで欲しいと、僕は思います。

 (中略)

「なぜ生まれてきたのか」「なんのために生きているのか」という問いは、確かに子供っぽい悩みかもしれません。でも僕はそれを解消できませんでした。誰も納得いく形で答えを提示してくれませんでした。そういう問いに対して、大人が全力で考え、正面から答えを出そうとしているものが、僕はやっぱり好きなのです。

 

 私自身、大人になり、昔悩んだことが薄れてしまってわからないことは考えないようにしようとしていたのかもしれません。でも、この言葉を読んで、もっと考えてみたいなと素直に思うことができました。

 

 この本の中でいくつか又吉さんが読んだ本が紹介されているのですが、何だか無性に読書したくなってきました。近代文学ももっと読んでみたいなぁと。太宰治も読み返したいですが、芥川龍之介も読んでいない作品を読んでみたいです。高校時代に読んだきりなので、今、読むと違った視点を発見できるかもしれません。

 また、ぼちぼちと本を読んでいけるといいなぁと思います^^。

 

 

 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)