絵本を読みました。
『悲しい本』というタイトルの絵本です。
最愛の息子を亡くした1人の男性の話。
悲しみがとても大きいときがある。
どこもかしこも悲しい。からだじゅうが、悲しい。
男性は息子のことを思い出しては悲しみに打ちひしがれ、その悲しみを誰かに話したい…ママに…と思っても、彼の母親ももういないのでした。
また、誰にもなにも話したくないときもあるとモノローグ。
私の悲しみだから。ほかの誰のものでもないのだから。
深い深い悲しみに読んでいる自分の胸もつぶれそうです。
亡くなった祖母のことを思い出したり、もし息子が先に死んでしまったら…と想像して涙が滲んだり。
今、父が病気で手術することになり、また自分自身も人間ドックの再検査でまた結果が芳しくなく……何やらわけのわからない気持ちが去来します。
(あ、父も私も命に関わる状態ではないです。父はただ長年の喫煙がたたり、全身麻酔に耐えられないかも…と言われたようですが、うまくいくことと祈るのみです。禁煙しなよ、とマジで思います)。
さて、絵本の続きですが、男性は悲しみの中でも、世界に目を向け、かつての思い出に耽ったり……
悲しみは決してなくならないでしょう。
けれど、終盤のロウソクの描写から何となく救いを感じました。
そして、何故か涙が溢れました。
そうだ、私もたくさんの心に灯るロウソクの火を受け取ってきたなぁと思って。
家族に大事にされて生きてきたなぁ、色々してもらったなぁ、と思い出があふれてきました。
そうか…その温かな思い出が悲しみに寄り添ってくれるのだなぁ…と。
いつか……私が死んだ後、息子にもそんなロウソクの灯りをたくさん残してあげたい。自分自身が祖父母や両親から受け取った灯りを息子にも残したい。
なんてことをしみじみかんじました。
この絵本、多分、読む人によって解釈は変わりそうです。
私はきゅっと胸がつぶれそうな悲しみの気持ちと同時にそれでも人は生きていけるという希望の灯りを感じました。