ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想、息子の不登校のこと、自分の病気のこと(癌やパニック障害とか)等をつぶやいています。

読書。

 図書館で借りてきた本を読んでいます。読書の秋。

 

・「忘れながら生きる」群ようこ

・「自分らしく生きている人の学びの引き出し術」尾石晴

・「私の生理のしまい方」原あいみ

・「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」東畑開人

・「赤と青のガウン」彬子女王

 

 ぱらぱらと斜め読みした本もあるし、割とじっくり読んだ本をあったり、興味を持った本をとりあえず借りてきて読んでいます。

 その中で心に残った文章は、カウンセラーの著者が書いた「自分らしく生きている人の学びの引き出し術」の一節。

 

幸福とは何か。

複雑な現実をできるだけ複雑に生きることである。

 

 この世の中、善悪をすぱっと分けることはできない。同じ一人の人間の中にも、いくつもの面があるし、社会も複雑。自分自身もそう。それを認めて生きていくことが幸福なのだという言葉に、確かにそうかもなぁと思うのでした。

 

 あと、面白かったエッセイが「赤と青のガウン」です。現役皇族の彬子女王様のオックスフォード留学記。リアルなプリンセスの日常が知れて、面白かったです。

 イギリス留学中は、ボディガードがつかないらしく、ひとりで行動したのが新鮮だったとか、エリザベス女王にお茶に招かれたとか、博士論文を書くのにものすごく努力された姿とか、皇族というよりか、さばさばした等身大の女性のエッセイで、親近感が湧きました(笑)。

 

 

【読書】「西の魔女が死んだ」梨木香歩

 「西の魔女が死んだ」は、自分が高校生くらいの頃に読んで好きだった作品です。

 主人公が抱える生きづらさに、若い頃の私はひどく共感しました。また、主人公と祖母のやりとりに、こういう生き方もいいなぁと少し勇気をもらえたものです。

 それから30年近くの年月が経ち、すっかり中年となった私ですが、息子が不登校になり、そういえば、この作品の主人公も不登校だったと改めて本を手に取ってみました。

 

 

 

あらすじ

 主人公のまいは中学1年生の女の子。学校に行けなくなったまいに、ママは自分の母親のもとでしばらく暮らすことを提案します。(おばあちゃんの住んでるのは日本です)。

 英国人のおばあちゃんは、田舎の山で自然とともに暮らしています。山や庭で育てたハーブや野いちごを使って自家製のキッシュやジャムを作ったり、鶏も飼っていて採れたての卵を料理に使ったりと、昔ながらの生活をしています(←この丁寧な暮らしに憧れる^^)。

 そして、おばあちゃんは魔女だと言い、まいに魔女になるための心構えを教えてくれます。

 

 以下、読んでいて、私自身が気になった箇所を綴っていきたいと思います。

生きづらさを抱えている主人公・まいに共感

 

「……ええ、喘息の発作はもうでないのだけど、学校へは行かないって言うの。……そう。あんまり叱ってもね、かえって逆効果でしょ。理由? さあ。あの子はとにかく……。何ていうのかしら、感受性が強すぎるのね。どうせ、何かで傷ついたには違いないんだろうけど。昔から扱いにくい子だったわ。生きていきにくいタイプの子よね。(中略)」

 

 まいはこういうタイプの子だと言われていて、あ、私も同じだ、と高校生の頃の自分は思っていました。共感。(今、思うと思春期というのは概ね感じやすいお年頃だったのかな…とは思うのだけれども、でも、確かに感受性が強い子はいるし、大人になってもその感受性を持っていく人もいると思うのですよね)。

 そして、まいはそれ故にときおり強い孤独感を感じています。

 

(中略)その原始的、暴力的威力は同じで、心臓をギューとわしづかみされているような、エレベーターでどこまでも落ちていくような痛みを伴う孤独感を感じる。そういうときは、ただひたすらそれが通り過ぎていくのを待つしかないのだ。

 

 ↑こういう経験、私にもありました。胸の奥がぎゅーっと苦しくて、涙が出てきて、本当に辛い。心がとても辛い。辛いのだけど、その辛さをどう対処していいかもわからない(何せ原因もわからないし、きっかけがあったとしてもどうすることもできない)。

 まいは、世の中とうまく折り合いをつけてやっていくことができず、苦しみ、不登校になってしまうわけですが、おばあちゃんとの暮らしがまいの気持ちを変えていきます。

 

自分で決めたことをやり遂げる力

 おばあちゃんは魔女の家系だと言います。不思議な力も使える人もいるという話に興味を持ったまいは、魔女になるにはどうすればいいのか聞きます。

 

「いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。

 

 おばあちゃんが言う「意志の力」というのは、魔女とか魔法とか不思議なものではなくて、ただ自分で決めたことをやり遂げるということ。

 自分で何時に起きて、何時に寝るか、今日一日の計画を立ててやり遂げる。

 おばあちゃんは、毎日、丁寧に暮らしています。その暮らしそのものが精神力を鍛えることになっている思います。

 心理学でいうなら「マインドフルネス」的な生き方が、魔女になるには必要なのかな。四季を五感で感じ、丁寧に暮らしていく。自分の感情に振り回されず、やるべきことをやっていく。シンプルに生きていく。

 そうした生活の積み重ねが、自分自身の精神を鍛えていくように思います。(難しいけど)。

 

自分が楽に生きられる場所

 学校でのいじめが原因で不登校になったまいが、学校に戻るかどうするかを悩む場面があります。転校の提案に対して、それは逃げじゃないのかと葛藤してしまうまい。

 そのときのおばあちゃんの言葉がすっと胸に入ってきした。

 

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中で生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

 

 これはそうだなぁと思う。まいに限らず、例えば、今の仕事から転職しようか、でも、今の仕事から逃げていいのかと悩んでいる場合とか、こういう考え方もあるんだとわかるとちょっと気持ちが楽になります。

 自分にとって楽な方を選んだって、それは逃げたってことじゃない。

 ……ただ、自分が楽に生きられる場所がどこかを知るためには、自分がどんな人間なのかを知らないといけないのかもしれませんね。そのためにも、日々の生活を丁寧に暮らし、意志の力を鍛えていかないといけないのかも。

 じゃないと、やっぱりただの逃げになっちゃうのかな。何が自分かわからないと、どこへ向かえばいいのかもわからないのかもなぁって。

 

何度読んでも感動して泣いてしまう

 まいがおばあちゃんと過ごした日々がとても温かくて、胸に響きました。

 そして、物語のラストで号泣です。

(というか冒頭からおばあちゃんがどうなるのかは描かれているのですが…。現在の時間軸から、まいが2年前、おばあちゃんと過ごした夏の日を思い出すという構成なので)。

 

「おばあちゃん、大好き」

 涙が後から後から流れた。

 

 高校時代に読んだときも泣いちゃったけど、今も泣いちゃいますね。

 おばあちゃんのまいへの愛情の深さに泣いてしまう。そして、そのおばあちゃんの想いを受け取ったまいの成長にも泣けてしまう。

 中年になった今、読み返すと、自身の祖父母の愛情も思い出されて、余計に泣いてしまいました(高校時代は実体験としては経験していなかったので)。

 

 

ただシンプルに素朴に、真摯に生きる。

 今回読んだ本は「西の魔女が死んだ 梨木果歩作品集」で、初版から25年が経ってから出版された本です。

 あとがきの作者の言葉が何故か心に残りました。

 「ただシンプルに素朴に、真摯に」生きたいと強く思いました。

 

 ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、かつてこれほど難しかった時代があっただろうか。

 社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた。

(中略)

 私たちは、大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えていくことができる。そのことを、ささやいでおいで。

 

 

 

【読書】「月と日の后」冲方丁

 大河ドラマ「光る君へ」にはまったので、図書館で関連の本を数冊借りてきた。

 早速、冲方丁『月と日の后』を読了。

 主人公は中宮・彰子。「光る君へ」の主人公・紫式部がお仕えした中宮であり、道長と倫子の娘である。

 彰子が12歳で一条天皇の入内してから没するまでの歴史が描かれていた。ほぼ、史実を彰子視点で描いたほぼ地の文の文章で、読みにくいかなぁと思ったのが、歴史上の出来事がどうなるのかが気になってさくっと読めました。

 彰子の視点で見ると、あ、そうか。入内したばかりの少女には、一体、内裏では何が起こっているのか、父親の道長らがやっている政治って何なのか、定子って誰?って感じでわからないことだらけだったんだなぁと気付いた。

 つい歴史を知っていると、知ってる前提で物語やその舞台を見てしまうのだけど、一登場人物の彰子からしたら、わからないことだらけで心細くなるのも無理からぬことだと思った。

 しかし、一条天皇への想いにより、自ら様々なことを学び、何も知らない少女からやがて国母として政治の采配もするようになる彰子という女性の成長に目を瞠るものがある。彰子って結構、すごい女性なんじゃ?と思った。

 清少納言が使えた定子も教養溢れる女性で、一条天皇の寵愛を一身に受け、御子を3人も生んでいるのだけど、兄・伊周の失脚から、家の凋落と…なかなかに苦労したのだろうと思う。そして、若くしてお亡くなりになってしまったから、もう死んでしまってはどうにもならない。

 対照的に彰子は長生きだったようで…生きていれば、色々な歴史にも立ち合っていくものだなぁと思う。

(それにしても平安時代は人が、儚く死んでいく…。長生きな人は80や90まで生きているけど、早い人は30代であっけなく亡くなっていて、現代とは命のとらえ方が違うのだろうなぁ…。怨みによって不幸が起こるということも、本気で信じていた時代なのですね)

 

 

 

 

【読書】『「不安症」でもだいじょうぶ』原井宏明著

 最近、自分の体調や、息子の状況、仕事に復帰したらどうなるのかなどなど、色々な不安が頭の中をぐるぐるしてしまい、身が竦んでしまう感じがしていました。

 意味もなくネットサーフィンをしていたときに、ふと目に留まった本。興味があったので、読んでみました。

 

 

 

 

「不安さえなければ人生はうまくいく」と考えて不安をなくそうとすることで、逆に、人生をストップさせてしまうわけです。

行動の幅を広げてみましょう。

まずやってみて、それからどうだったかを考えるのです。

「まあ、仕方がない。そういうこともあるよね」と、過去の失敗と将来の不安を抱えたまま、とにかく止まらずに動き続けるようにします。

 

カバーに書いてあった言葉。不安症のことを勉強していると、よく出てくる概念です。不安のまま行動しなさいと。

息子の主治医の先生も、息子の不安が辛い気持ちをどうしたらいいかという点で、「不安をなくそうとしない。不安を認めたうえで、脇に置いて、やるべきことをやりなさい」といつもおっしゃっています。

認知行動療法パニック障害の暴露療法など、これまで自分自身の不安障害と向き合う上で、いろんな本を読んできましたが、確かにどの本でもそう言っています。

しかし! それができれば苦労しないのよ!とも思います(笑)。

高所恐怖症の人に、バンジージャンプさせるようなものですからね。いきなり無理だっての。

……と、「無理」と思いながらも、とりあえず本を読んでみました。

 

 

 

目次はこんな感じです

不安とは…

不安になること自体は悪いことではなく、ポジティブな感情と同じように人の原動力やモチベーションになりえるのですが、生活に支障が出ているのなら心の病気といえます。

不安になりやすい体質

 不安になりやすい体質というのがあり、これは「先天的にも後天的にも高くなること」があるそうです。

 

もともと怖がりだった人が、怖くなる対象をすべて遠ざけていたら、ちょっとした刺激にも「怖い!」という反応が出るようになります。p38

 

 自分の場合はどうなんだろう。もともと怖がりや心配性だった気もしますし(先天的)、チャレンジをしなくなったり、嫌なことから逃げてしまったりしたことで、余計に「怖い…」となってしまったような気もします。うーん。

 

不安症とうつ病の違い

 不安と抑うつは異なる状態です。そのため治療法もまた異なります。p42

 

 ↑これは何となくわかります。不安から二次的にうつ病になることもあるので、これらが全く無関係だとは思いませんが、不安とうつは違うし、対処方法も違う。そういう話は、病院でも聞いたし、本にも書いてありますよね。

 うつ病は、ストレスの原因から離れて休養することが大事だけど、不安はあえて不安に飛び込むといった行動が必要だっていう話なのですが…(だから、それができれば苦労しないんだけど^^;)。

 

不安があっても前に進むためにはどうしたらいいのだろう?

 まあ、こんな感じで、不安について客観的に説明してくれているのですが(ちゃんと本の内容をまとめようと思ったのですが、すっ飛ばしてしまいました…^^;)、読んでいて私自身が気になった箇所や実践してみたいなぁと思うところをピックアップしてみました。

「不安にならない」という目標は間違い。

 いつも「ああなったらどうしよう」「仕事で体調不良になったら…」「息子が将来、引きこもりになったら…」「電車で具合が悪くなったら…」等と不安に支配されることが多く、「この不安をなくしたい!」と強く願ってしまいます。

 でも、「不安にならない」というのも目標にしても、結局、そのためにどうしたらいいのかわからなくて、余計に不安がぐるぐるしちゃうことが多いです。

(「〇〇を思い浮かべてはいけませんよ」と言われたら、余計に〇〇について考えちゃうような感じ)。

 

「不安にならない」とか「イライラしない」とか「落ち込まない」とか「あれこれ考えない」とか、死人でもできる「しない」ということを目標にすると、そのために何をしたらよいのかがわからなくなってしまいます。

(中略)

 そこで、目標は「××しない」を「〇〇する」というように肯定文にしてみましょう。

 

 なるほど~。

 不安にならないようにしようと考えるのではなく、例えば、動悸がしてきたら、「ゆっくり呼吸をしてみよう」とか「数を数えてみよう」とか「~する」で対処法を考えるといいのかな。会議で発表するときに緊張したら、「緊張よなくなれ」と思うのではなく、「1分間に400字のペースで話そう」「この箇所を丁寧に説明しよう」という風に考えたり?

(とはいえ、本当に不安の絶頂のときには、難しいとは思います。でも、なくなれなくなれ…と考えて、余計にドツボにはまるよりはマシ!)

 

セルフモニタリング←これは試してみたいな

・1日の気分の点数を、朝ー20点、昼0点、夜20点と記録する。

・1日の活動(睡眠、食事、外出等)を記録する。

・何があったのか、何を感じたのかを記録する。

 

 バーチカル手帳に1日の様子を詳しく記入するようなものですかね。気分に点数をつけることで、朝は憂鬱だけど、夜には元気になっているんだなぁとか、このイベントがある前は体調を崩しやすいのだなぁとか自分の傾向がつかめるようになるとのこと。自分がいつ不安になるか、きっかけは何か等がわかれば、対策を立てることもできる。

 「記録することは治療の基本中の基本」で有益らしいので、この方法は試してみたいなぁと思いました。(三日坊主になりそう?)。

 

f:id:Nonapenta:20240516113543j:image

 

あえて嫌なことをしよう(エクスポージャー

 これはパニック障害の治療でもよく言われているやつですね。電車に乗って倒れそうになり、電車に乗ることが怖くなってしまったという場合、電車を避けていたのではいつまでもよくなりません。少しずつ電車に乗る練習をして、パニック発作自体に慣れて行こうというもの……。

 わかっちゃいるが、これを一人でやるのは無茶苦茶ハードルが高いと思いました。

 筋トレ…だと思って、少しのことから試したいとは思いますが…。

 

エクスポージャーは不安や恐怖に耐えられる筋力をつける筋トレなのです。

 

場数をこなす(苦手なことをやりまくる)

 苦手な場面に慣れるためには、苦手なことをやりまくろう…ということですね。エクスポージャーと同じですね。

 確かに場数をこなすしかないと思うこともあります。

 自分の場合だと、就職して最初の所属が、とにかく人前で話す仕事がたくさんありました。もともと、そうしたことが非常に苦手でしたので、本当に苦痛。最初は、緊張して、何を話しているのかわからなくなったり、挨拶文やメモを用意して読み上げるだけということも…。

 でも、1年以上続けたら、不思議なことに、その場でスラスラ挨拶できるようになりました。苦手意識は変わりませんし、やりたくはないですが、慣れというのは確かにあるのかもしれません。

 

 

不安になりやすい息子への接し方の参考にしよう

「問題行動によって本人は何を得ているのか」

 第6章のテーマは「不安を訴える本人に対して、家族はどう関わるとよいのか?」ということでした。 

 例として、「もしかしたら病気かも」と何度も訴える70代の母親を持つ子どもの事例があがっていました。

 高齢の母は、「病気かもしれない」と頻繁に子どもに連絡をしてくる。子どもは仕事をしているので、仕事中に何度も電話がかかってきて困っているのとこと。

 そうしたケースでは、どう対応したらいいのでしょうか?

 

肝心なことは本人を変えるのではなく、自分が変わることです。

 

f:id:Nonapenta:20240516155730j:image

 

 (Ⅰ)が現状です。お母さんは孤独を感じている→家族に通院に付き添うように要求→家族が注目、おしゃべりという良い結果を得ている。

 そこで、「〇〇のときに」という先行条件を家族の方が変えます(お母さんを変えることはできないので)。

 (Ⅱ)定期的に家族が訪問する→家族に通院に付き添うように要求→訪問日でないときに付き添いを要求しても、子どもは注目しない。元々定期的に訪問していた日がキャンセルされてしまうという悪い結果になってしまう。

 そうするとお母さんは、付き添いの要求という行動をしたことで、悪い結果を得てしまうので、その行動を減らすように変わっていきます(弱化)。

 

 という考えなのですが、これ、私が今、受講しているアレントレーニングでも同じことを習いました! 

 例えば、子どもがスーパーでお菓子を買ってと泣く→泣かれると困るから親はお菓子を買ってあげる→子どもは泣けばお菓子が手に入ると学習してしまう。でも、例えば、泣いても、その行動を「無視」し(注目を与えずに)お菓子を買ってあげないとする。子どもは諦める→すかさず、親は「我慢できてえらかったね!」と誉めてあげる。

 そうすると、子どもは泣いても親は自分に注目してくれないことを学習し、徐々に「スーパーで泣きわめく」という好ましくない行動が減っていくというもの。

 

家族の過干渉が不安症状を悪化させる?

 家族がやりがちな謝った対応として、親子間での過干渉があるそうです(う、耳が痛い)。

 

不安になりやすい傾向は親から子に遺伝します。

子どもが不安になるときは親も不安になりますし、その逆もしかりです。

 

 不安の気質が遺伝かどうかはわかりませんが(先天的なものもあるし、後天的なものもあると思うので)、確かに親の私が不安になっていると子どもの不安げです。そして、子どもの不安に、私は無茶苦茶、影響されて、感情が振り回されちゃいます^^;(そんなものよね)。

 

どうやって家族の不安に向き合えばいいの?

 じゃあ、どうすればいいのか?という問題について、著者はいくつかの方法を説明してくれます。

  • 相手の不安に巻き込まれない
  • 正論で説得しようとするのをやめる
  • 共感的な「聞き返し」をする
  • 聞きたい話に注目し、ネガティブな話をスルーしてよい  等

 

 家族が不安だ不安だと言っていても、同じ土俵に立ってあたふたしないことが大事なのかなぁと思いました(それができれば苦労しないんだが…)。

 

 大事なことは、本人であっても家族であっても、不安をそのままにしておくことです。

(中略) 

 不安にとらわれて苦しんでいる相手を適当にあしらうというのは、冷たい対応のように感じるかもしれません。しかし、相手の不安に巻き込まれてしまうと、家族も本人と一緒に不安に振り回されることになってしまいます

 

 そのためにはどうしたらいいのかという話で、私が試してみようかなと思った方法が「共感的な聞き返し」「ネガティブな話をスルー」というものです。

 

共感的な聞き返し

 例として、高齢の母が「あなたに迷惑をかけたくないけど、心配でたまらなくて…」と不安を訴えた来た際に、「そんな心配なことなんてないよ」「またそんな話をして…」「なんともないって!」などと正論で返しても、本人には伝わらない。

 

例:「お母さんは私に迷惑をかけたくないけど、心配でたまらないんだよね…」

 おうむ返しにするだけでも共感的な返しになります。更に、本人の気持ちを推測して、聞き返してみるとよいとのこと。

例:「お母さんは自分が娘の足を引っ張っていることに気づいていて、本当はもっと娘の話を聞いてあげたいと思っているんだね」

 

他にも「こんなに苦しいのなら早く死にたい」→「死にたくなるくらいつらいんだね」、「私は今すぐ〇〇しないと」→「誰かにこのつらさをわかってもらいたいんだね」等のように、相手の言葉の裏にある気持ちを推測して聞き返してみると、本人も素直に受け入れられるかもしれません。

 

ネガティブな話をスルー

 この相手のネガティブな話をスルーという方法がかなり参考になりました。というのも、息子はいつもいつもネガティブなことばかり言い続けるところがあり、それに対してイライラしてしまうことが多かったからです。「そんなこと言い続けてもどうしようもないじゃない」と反論してしまうと、息子は「僕のこと、わかってくれない!!!」と癇癪を起すきっかけになったり(とほほ…)。

 

同じ話ばかりがくり返されるときの対応のコツは、感謝の言葉など少しでもプラスの部分があれば、そこを選択的に注目して聞き、ネガティブな話には反応せずにスルーしてしまうことです。

 

 例として、また高齢母と娘のやりとりがあがっていました。

 

母「あなたは私を置いて出かけるわけ? 私は今日も腰が痛いんだけど」

娘「私が出かける支度をしているのに気づいてくれたんだね。これから買い物に行くんだけど、一緒に行く?」

 腰が痛い、私を置いていくのかというネガティブな部分はスルーして、〇〇に気づいてくれたんだねとプラスの部分に注目して返答しています。他にも「今日は買い物に行ったら、レジの人が感じ悪くて」という話になったら、「今日、買い物に行ったんだ。調子悪くてもちゃんと外出したんだね」と返すという例もありました。

 この方法は息子にも使えそう!と思いました。

 

まず、自分が幸せになる

 さて、この本の最終章の見出しが「まず、自分が幸せになる」でした。

 世話をしたり、気にかけないとと思っている相手がいると、いつの間にか自分のことは後回しになってしまうことが多いですが、まずは自分が…という気持ちで、日々のちょっとしたことでも幸せになるように過ごしたいですね。

 

 大切な人を幸せにするには、自分自身が幸せになることが大切です。幸せな体験をした人が実在することは、暗闇にいる人に希望の光を与えます。

 

(…むっちゃ長い文章になっちゃった。うまくまとめられるよう精進したい^^;)。

『カウンセラーはこんなセルフケアをやってきた』伊藤絵美

図書館で借りてきた本。

カウンセラーをしている著者の伊藤絵美氏の実体験に基づくセルフケアが綴ってありました。

面白かったのは、筆者の個人的な経歴や体験が赤裸々に描かれていたこと。

カウンセラーで、大学院も行っていて、立派な人なのだろうなぁと思って読み進めていくと、自分は多動やギャンブル依存や万引きしたこともあります、小さいころは家庭内で両親の不和、母親から依存されていた等々、個人的なエピソードがありのまま書いてあって、驚きました。

そして、自分の体験ではこういうカウンセリングの手法を使って、違った見方ができるようになったという話が参考になりました。

 

 

無性に日記を書きたくなった。【読書】

「さみしい夜にはペンを持て」という本を読んだ。

中学3年生のタコジローはクラスでいじめられていて、自分でも自分のことが嫌だなぁと思っている。ある日、クラスでとても嫌な出来事があり、学校を休み、公園に行くと、そこにはヤドカリのおじさんがいて…。

という感じの物語なのですが、内容は日記を書く効用、書き方、コツについて語られている。物語の中で語られているから、よくある啓発本みたいな堅苦しさがなくて、面白く読めました。

これを読んで、無性に日記を書きたくなった(笑)。

というわけで、久しぶりにブログを書いています。

 

 

「タラント」角田光代

感想…というか、支離滅裂なメモなんですが、メモっておきます。

 

主人公のみのりは40歳前後の女性。

物語は3つの話が交互に語られていく。

1つ目のパートは2019年のみのり(38歳?)。

2つ目のパートは1999年のみのり(18歳)。

そして、時折、戦時中、徴兵された男性の物語。

 

自分には、才能や使命感がないからと新しい境地に踏み出すことに臆病になり、現状維持で立ち止まっているアラフォーのみのり。けれども、若いころのみのりは希望や向上心に満ちている。一体、彼女に何があったのか?

それが物語が進むにつれて徐々にわかっていく。18歳から始まった物語が進んでいくからだ。そして、同時に2019年から始まった現在のみのりの物語も2020年まで進む。東京オリンピックのこと、コロナのこと、私たちが実際に経験した世の中の出来事が物語として描かれている。

(それにみのりは今の自分と同世代なので、若いころのみのりの物語に出てくる話…アメリカの同時爆破テロや東日本大震災やらの出来事、それに対するみのりたちの考察なども興味深く読めた)。

 

みのりに何があり、何を考えて、最終的にどう考えるようになるのか。それももちろん、興味があって、続きが気になりページをめくったのだけど、この物語に欠くことができないのが、みのりの祖父・清美の物語だ。

この祖父の存在がとても大きい。祖父が感じてきたことと、みのりが感じたことがリンクしている。みのりがラストで踏み出せたのは、祖父の存在があったからだろうと思う。

 

特に物語全体が悲劇があるわけでも、劇的な何かというわけでもないのだけど、ラストの方でぽろぽろと涙が流れた。戦争物を読むこともあるし、そういう物語で直接的な悲劇が描かれて、涙することはよくあるんだけど、直接ではないのだけど、色々考えさせられた。みのりの悩みや迷いや考えは、同じ時代を生きた自分にもわかる部分も多かった。

 

もやもやとした気持ちを丁寧に掬い上げ、言葉にしてくれてるような…。

 

何だかんだと面白くて、結構、分厚い本だが、一気に読み進めることができた。

 

「兵隊になる子どもたちだって、私たちとぜんぜん違う、かわいそうなだけの子じゃない。私たちだって、生まれた場所が違ったら、生まれた時代が違ったら、おんなじふうになったかもしれない。私は、そこから考えなきゃいけない。正義がひとつだって思っちゃいけない。私がここで生きていたらどうしてた? そっから考えなきゃって思ったの。政治のことがわからなくても、宗教対立がわからなくても、わかんないからって無視しないで、わかんないわかんないって迷いながら書けばいいんだって」(p334)

 

 

「すごくきれいなものと、すごくおそろしいものはつながっている。私は翔太の写真を見てそう思った。一点の疑いもなく心の底から神さまを信じるきれいな気持ちは、そのまま、ものすごくおそろしい武器になる。一心に祈るひたむきな気持ちは、他者を殺したいほど憎む気持ちになる。それは分かれてなくて、つながってる。あの写真を見て私ははじめてそのことに気づいた」(p337)

 

だれも彼も何かしたらのなんということのない義務感に突き動かされ、それに従っていて、それがつまりはそれぞれにあたえられた使命であり才能だ。(p438)