「西の魔女が死んだ」は、自分が高校生くらいの頃に読んで好きだった作品です。
主人公が抱える生きづらさに、若い頃の私はひどく共感しました。また、主人公と祖母のやりとりに、こういう生き方もいいなぁと少し勇気をもらえたものです。
それから30年近くの年月が経ち、すっかり中年となった私ですが、息子が不登校になり、そういえば、この作品の主人公も不登校だったと改めて本を手に取ってみました。
あらすじ
主人公のまいは中学1年生の女の子。学校に行けなくなったまいに、ママは自分の母親のもとでしばらく暮らすことを提案します。(おばあちゃんの住んでるのは日本です)。
英国人のおばあちゃんは、田舎の山で自然とともに暮らしています。山や庭で育てたハーブや野いちごを使って自家製のキッシュやジャムを作ったり、鶏も飼っていて採れたての卵を料理に使ったりと、昔ながらの生活をしています(←この丁寧な暮らしに憧れる^^)。
そして、おばあちゃんは魔女だと言い、まいに魔女になるための心構えを教えてくれます。
以下、読んでいて、私自身が気になった箇所を綴っていきたいと思います。
生きづらさを抱えている主人公・まいに共感
「……ええ、喘息の発作はもうでないのだけど、学校へは行かないって言うの。……そう。あんまり叱ってもね、かえって逆効果でしょ。理由? さあ。あの子はとにかく……。何ていうのかしら、感受性が強すぎるのね。どうせ、何かで傷ついたには違いないんだろうけど。昔から扱いにくい子だったわ。生きていきにくいタイプの子よね。(中略)」
まいはこういうタイプの子だと言われていて、あ、私も同じだ、と高校生の頃の自分は思っていました。共感。(今、思うと思春期というのは概ね感じやすいお年頃だったのかな…とは思うのだけれども、でも、確かに感受性が強い子はいるし、大人になってもその感受性を持っていく人もいると思うのですよね)。
そして、まいはそれ故にときおり強い孤独感を感じています。
(中略)その原始的、暴力的威力は同じで、心臓をギューとわしづかみされているような、エレベーターでどこまでも落ちていくような痛みを伴う孤独感を感じる。そういうときは、ただひたすらそれが通り過ぎていくのを待つしかないのだ。
↑こういう経験、私にもありました。胸の奥がぎゅーっと苦しくて、涙が出てきて、本当に辛い。心がとても辛い。辛いのだけど、その辛さをどう対処していいかもわからない(何せ原因もわからないし、きっかけがあったとしてもどうすることもできない)。
まいは、世の中とうまく折り合いをつけてやっていくことができず、苦しみ、不登校になってしまうわけですが、おばあちゃんとの暮らしがまいの気持ちを変えていきます。
自分で決めたことをやり遂げる力
おばあちゃんは魔女の家系だと言います。不思議な力も使える人もいるという話に興味を持ったまいは、魔女になるにはどうすればいいのか聞きます。
「いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。
おばあちゃんが言う「意志の力」というのは、魔女とか魔法とか不思議なものではなくて、ただ自分で決めたことをやり遂げるということ。
自分で何時に起きて、何時に寝るか、今日一日の計画を立ててやり遂げる。
おばあちゃんは、毎日、丁寧に暮らしています。その暮らしそのものが精神力を鍛えることになっている思います。
心理学でいうなら「マインドフルネス」的な生き方が、魔女になるには必要なのかな。四季を五感で感じ、丁寧に暮らしていく。自分の感情に振り回されず、やるべきことをやっていく。シンプルに生きていく。
そうした生活の積み重ねが、自分自身の精神を鍛えていくように思います。(難しいけど)。
自分が楽に生きられる場所
学校でのいじめが原因で不登校になったまいが、学校に戻るかどうするかを悩む場面があります。転校の提案に対して、それは逃げじゃないのかと葛藤してしまうまい。
そのときのおばあちゃんの言葉がすっと胸に入ってきした。
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中で生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
これはそうだなぁと思う。まいに限らず、例えば、今の仕事から転職しようか、でも、今の仕事から逃げていいのかと悩んでいる場合とか、こういう考え方もあるんだとわかるとちょっと気持ちが楽になります。
自分にとって楽な方を選んだって、それは逃げたってことじゃない。
……ただ、自分が楽に生きられる場所がどこかを知るためには、自分がどんな人間なのかを知らないといけないのかもしれませんね。そのためにも、日々の生活を丁寧に暮らし、意志の力を鍛えていかないといけないのかも。
じゃないと、やっぱりただの逃げになっちゃうのかな。何が自分かわからないと、どこへ向かえばいいのかもわからないのかもなぁって。
何度読んでも感動して泣いてしまう
まいがおばあちゃんと過ごした日々がとても温かくて、胸に響きました。
そして、物語のラストで号泣です。
(というか冒頭からおばあちゃんがどうなるのかは描かれているのですが…。現在の時間軸から、まいが2年前、おばあちゃんと過ごした夏の日を思い出すという構成なので)。
「おばあちゃん、大好き」
涙が後から後から流れた。
高校時代に読んだときも泣いちゃったけど、今も泣いちゃいますね。
おばあちゃんのまいへの愛情の深さに泣いてしまう。そして、そのおばあちゃんの想いを受け取ったまいの成長にも泣けてしまう。
中年になった今、読み返すと、自身の祖父母の愛情も思い出されて、余計に泣いてしまいました(高校時代は実体験としては経験していなかったので)。
ただシンプルに素朴に、真摯に生きる。
今回読んだ本は「西の魔女が死んだ 梨木果歩作品集」で、初版から25年が経ってから出版された本です。
あとがきの作者の言葉が何故か心に残りました。
「ただシンプルに素朴に、真摯に」生きたいと強く思いました。
ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、かつてこれほど難しかった時代があっただろうか。
社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた。
(中略)
私たちは、大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えていくことができる。そのことを、ささやいでおいで。