生まれも育ちも都会の人と話していたら、目から鱗な価値観に出会い、世の中って色々なんだなぁと考えた。
その人は、小学生のお子さんに平日は2~3時間、宿題以外の勉強をさせているということで、「すごいですねぇ」と感想を言ったら、都会では当たり前だという。
何でも都会では小学生のうちから習い事を7つくらいやって、塾に行って、平日は4時間、休日はもっと勉強をするらしい。そして、中学受験して、いい中学へ行き、いい私立大学へ入学するそうだ。
田舎にいると教育ママだと言われるが、都会ではそれが普通なのだとおっしゃる。
で、田舎では国公立の学校や大学がいいという価値観だが、都会では慶応大学とか早稲田大学、あとマーチ?(←マーチって何だろう?)などの私立大学に行く方が、国立大学に行くよりも上なんだって。
へえ。
ここ、田舎だと、私立というのは勉強ができない子がお金を払って行くところで、勉強ができる子は国公立に進学する…という考えが、私の学生時代は一般的だった(今はどうかは知らないけど)。塾も、自分で勉強ができる子はわざわざ行かない、できないから行くという感じだった(昭和だからね^^;。そもそも塾自体が1つあるかないか、私の地元だと英語塾が1つあるだけ…という環境だったし。どうでもいいけど、コンビニもないし、マックもないし、ミスドもないし…何もなかったな…中学時代にファミマが初めてできて、下校途中に物珍しさにコンビニに入ってみたら…風紀指導中の学校の先生に見つかった。そのとき店内にいた10人ほどがコンビニの前に整列させられ、下校途中に寄り道するな!と延々と説教された…(笑)。懐かしい…)。
同じ日本でも都会と地方では随分、価値観が違うことが面白い。勿論、現代はネットやSNSが普及していて、どこにいても情報を手に入れることができるから、昔ほどの価値観の差はないのだろうと思う。
でも、ずっと田舎から出たことのない自分からすると、都会の話はまるで遠い外国のことのように思えて、新鮮さを感じる^^。
もしも、都会の大学に進学していたら、カルチャーショックで価値観がコペルニクス的転回を起こしていたのかも…なんて思う。
もしも、都会に生まれていたら、どんな人生を歩んだのだろう? それはそれで、きっと今とは違う刺激あふれる人生だったのかもしれないし、やっぱりどこにいても私は私だったのかもしれないし、わからないのだけれども。
今の田舎暮らしにはとても満足しているので、まあ、どっちでもいいけど、とも思う。(畑で野菜作ってるのが楽しくて^^;)。
ただ、息子には、もっと勉強させた方がいいんでしょうか? 平日2時間とか? 習い事とか?
……いや、やめとこ。何と言いますか、息子。勉強以前に、「学校嫌~、行きたくない」「今日も嫌なことばかりだった」「死んだ方がいい」などと愚痴愚痴と言っているのです。もう勉強とかはどうでもいい、とにかく寿命までちゃんと生きておくれ…と願っています。生まれてきてよかったなぁと人生の最期にちょこっとだけでいいから思ってくれたら…と思うのです。←実はそれが、本当に難しいことのような気もしますけどね。
この繊細というか悲観的というか周りに過敏というか、とにかくこの先の人生、生きづらさを感じることが多いであろう息子に対して、どう接していけばいいのか悩みながら日々を過ごしているところです。
ん?
何の話だったかな。
↑先日、花壇を作った。
真ん中にはチューリップの球根をたくさん植えました。春が楽しみ。春まで無事に過ごせますように。