ちょっぺこ日記

日々雑感や本の感想、息子の不登校のこと、自分の病気のこと(癌やパニック障害とか)等をつぶやいています。

七夕、スクールカウンセリングを受ける。

 七夕。保護者会の日。子どもは1限目だけ授業があったが、息子は行けなかった。児童玄関前まで車で連れて行ったが、うずくまり動くことができなかった。担任の先生が迎えに来てくれたが、顔を隠したまま、一言も口を開かなかった。
 午前中、スクールカウンセラーの先生との時間があり、もともと私が面談する予定だったが、息子も一緒に受けることになった。
 スクールカウンセリングの時間は、他の児童は下校した後だからか、息子は少しホッとした様子で相談室の席に座った。
 カウンセラーの先生に聞かれたことをぽつぽつと話す。眠れないこと、最近ごはんがおいしくないこと、好きだったことも楽しめないこと……。
  鬱病の初期みたいだな、と私は一緒に話を聞きながら感じた。
 先生が紙に大きく丸を描いて、「この丸がじぶんのこころだとして、今、学校に対する嫌って気持ちはどのくらい?」と質問した。
 息子はしばらく考え込んだ後、ぼそぼそと「全部かな」と答えた。それから「図書室は好き かも」と付け足した。
 カウンセラーの先生は、息子が今まで我慢してきて辛いこと、今は心を回復させることが一番大切であること、学校は1時間目だけとかできる範囲で来ればいいこと、家での勉強も10分だけ、漢字なら1文字だけでいいということ等をお話してくださった。
 そして、「お父さん」の存在が息子にとって重荷になっていることから、夫とも一度話をしたいとことになり、夫もスクールカウンセリングを受けることになった。
 また、状態があまりよくないので、病院にかかるという手もあるというお話もしてくださった。
 カウンセラーの先生は、息子のことを物の見方が変わっていたり、物事をよく観察していたり、自分の気持ちも見えていたり、よいところがたくさんあります、とおっしゃってくださり、逆に息子のことをそういう見方もできるのか…と私には新鮮に感じた。
 どうしても自分の子どものことだから、悲観的に捉えてしまっていたけれども、そういう風に前向きに捉えることもできるのか……。少しだけ、何とかなるのかな?と明るい気持ちになれた。
 一旦、帰宅して、今度は午後の保護者会(担任の先生との面談)を待っていたけれども、今度はやっぱり…と不安な気持ちにもなってきた。
 息子の状態を見て、1時間だけ登校という形で少しずつ…という話だったが、働きながら、対応できるのだろうか? 難しいのではないだろうか? けれども、もし、息子の状態が少しでも好転するのならば、仕事を辞めて寄り添った方がいいのではないか? 
 色んな葛藤、迷い、不安が押し寄せてきた。けれども、息子が少しでも前向きに生きて行けるのならば(不登校→引きこもり→殺人or一家心中を避けられるならば)、仕事を辞めるという選択肢もあるのかもしれない(でも、思い切れない)。
 そんなことを考えていたら、職場から電話がかかってきた。
 同じ係の職員が辞めるそうだ。辞めるかもしれないという話は年度当初から聞いていたので、驚きはしなかった。転職おめでとう!と心の底から思った。これは本当に思った。
 ただ、今後の仕事をどうするという話がなされ、管理職が(今の時点では)人数が減ろうがそのままやれといった話をしているそうで、その点はげんなりした。
 年度末の係分けの騒動で、今の職場に対してかなり嫌気が差している。「できません!!無理です!!」と会議室から金切声が聞こえたり、できませんと涙目で言う人がいたり……まあ、平の職員が思いを吐露するのは構わないのだが、それを上の人が「できませんとあの係は言っているから、〇〇さんが涙目だから」という理由で、仕事を配分して、一部の職員の負担が増加したことに嫌気が差しているのだ。
 仕事が増えたことが嫌だったわけではない(昨年度より2倍くらい時間外増えたし、事務分掌は1.3倍くらいかな? そして、事務分掌にない仕事もしているけれども…)。そうではなくて、割り振りの理由が合理的ではなかったから、疑問符が浮かんだだけ。
 もう仕方ないと淡々と仕事をこなしてきた春。時間外45時間とか、係長はもっとオーバーしていたり(無理と言った人は時間外0とか10時間未満だったり)。息子の不登校の対応、自身の体調不良でいっぱいいっぱい。係長も、介護とお子さんのこと、体調不良とかで大変そうで…。
 でも、淡々とやろうと頑張ってきたときに、管理職に「あなた、事務分掌、何も変わってないんでしょう」(余裕あるんでしょう)と言われて、頭をガツンの殴られたような衝撃を受けて、怒りがワナワナと湧いてきて、ここでは言えないくらいの罵詈雑言が脳内に去来したわけだが、それも今ではもう冷めてしまった。
 (仕事に関しては)どうでもいい。なるようになるし、やれる範囲でやれることしかするつもりはない。
 春から私の仕事のモチベーションを保ってくれたのは、係長の存在だった。専門職なのに事務職以上に支払いや資料作成の能力にも長けており、責任感も強く、部下思いであること。家庭も大変なのに、仕事を頑張っていること。
 見ていて、すごいなぁと尊敬している。この人が頑張っているのならば、私も頑張ってみるか…というのが、今年度の私の働く動機だ。大抵、私は仕事のために仕事をすることはない。仕事は嫌いだ。クレーマーも嫌い。やりがいも感じないし、ブルシットジョブだと思っている。
 ただ、この人のために頑張るか…と思える人が大体、毎回いるので(ありがたいことに)、そのために頑張っているだけ……。
 とはいえ、同じ係の子が辞めるとどうなるのか…先が見えない。管理職は、何もしてはくれないだろう。春から、辞める可能性があることをずっと伝えてきた。本人も管理職に話していた。それでも、何も対応しなかった。そのくせ、今、「交通事故で急にこれなくなる職員だっているんだし、それでも、残された人で何とかやってる場合もある」とか言っているらしい。
 ふ(笑)。交通事故だって? こうなるかもしれないことは、4月から話していただろう。準備期間はあったはずだ。仕事の割り振り案も提示した。なのに、交通事故だって? 違うでしょう。突発的な出来事じゃないでしょう、と思うのだった。
 まあ、仕事のことはもはやどうでもいい。やれる範囲でやれる分だけやるし、やれないことはやれませんでしたと言ってやるだけだ。