小学校5年生の校外学習のメイン『自然教室』。
ちょっと離れた場所にある自然の家で一泊するというもの。
あと、飯盒でご飯炊いたり、カレー作ったり、色んな体験したりもあるのかな?(自分のときはあったような気がする)。
息子は不登校で、自然教室も行かないということで欠席しました。
まあ、学校自体に行けていないし、クラスメイトが誰なのかもわからない状態だから、行かないのは自然の流れなのだけど…。
ただ、親の私が勝手に切なくなっちゃって^^;。
ああ、小学校のイベントに参加できなかったなぁ…来年の修学旅行もきっと行けないんだろうなぁ。小学校の思い出が……云々。
あれこれ考えてしまい、勝手に悲しくなったり、不安になったりと私の心は揺れ動くのでした。
……でも、ふと正気に戻ると、「別に自然教室に行けなくてもいいんじゃない? というか、息子本人はあまり気にしてない…」とハッと気づくのでした(笑)。
私自身も小学校の頃、自然教室や修学旅行に行きたくなかったし…。本当に嫌で嫌でたまらなかったのです。家族以外の赤の他人と泊まるとかお風呂入るとかマジで嫌すぎるし、学校では仮面をつけて演じているわけで、その状態で2日? 疲れちゃうよー、まじ勘弁! …と本気で思っていました。
(ちょっと脱線しますが、学校では自分を偽ることが多かったのですが、保育園からの近所の幼馴染らと一緒に子ども会の行事で宿泊するのは楽しかったんですよね…。学校での自分と、学校以外での自分が、本当に全然違っていたから…)。
話を戻しますが、私自身が子供の頃に自然教室なんて嫌だー、行きたくないよーと思っていたのに、何で、今、息子が行けないことに対して切なくなるのでしょう?
謎だ。勝手に、「小学校の行事に参加して、友達らとワイワイできる方が幸せ」という基準…しかも、それは私自身の基準ではなくて、「多分、世の中はそう思うであろうなと私が勝手に思っている基準」で測っているわけです。
……親って難しいなぁ。
自分自身のことだったら、そんなに風には思わなかったのに。
(世の中の基準に迎合できない自分は社会不適格者だと卑下はしていたけど、本音の感情として「行きたくない」とははっきり思っていたし、それを「行きたい、楽しみたい」と演じることはなかった)。
息子がどんな思いでいるのかなんて分からないのに、勝手に憐れむのはやめよう。
実際、息子は学校のことは念頭にないみたいで、今日もせっせと自分で撮影した動画の編集作業をしているのだから(笑)。