今日は夏休み明けの始業式だった。
息子を連れて学校へ行った。玄関から中に入れないという息子。
担任の先生に来てもらい、とりあえず保健室へ。
教室に行けない、でも、行かないとお父さんに怒られる…どうしよう。
この葛藤で50分くらい、保健室にいました^^;。
担任の先生は途中でクラスへ戻ったので、保健室で私と息子。
あと、保健室の先生や、保健室を訪れるたくさんの子どもたち。
他の子どもが入ってきて、保健室の先生に話しているとき、息子の表情はこわばっていて、落ち着かない様子だった。
私は、何も言わなかったけれども、わかるーと思っていた。
大人だから私はやりすごせるけど、自分自身も頭(脳)がピリピリして、落ち着かなかった。ざわざわと多くの子どもが出入りする状況が、心地よくはない。
自分が学生の頃、嫌だった。この感覚、あった。嫌だった。
……と自分自身の昔の感覚が蘇ってきて、う、となったけれども、今の私はやりすごすことができる。大人になったし。そんな自分を受け入れているから(治すつもりもないから)。
担任の先生が戻ってきて、今年作る学校の記念誌のためのクラスの集合写真が、今日は全員出席になるかもしれないから(一人、来れるかどうか連絡待ちの子がいるらしい)、この機会に撮影できないか?とおっしゃった。
全員の集合写真が原則で、どうしてもだめなら校長先生の許可があればそうすることもできるけど…みたいな話。
息子の様子を見ていると、写真撮影どころではなさそう。教室に入るのが怖い、どうしようと葛藤しているくらいなので…。
先生がまたクラスに戻って、また保健室で葛藤する息子(帰宅するかどうするかを)。
こんなに苦しんでまでいる必要はないんじゃないかと私は思っていたけど、息子が決めればいいと思い、待った。
結局、帰えりたい…となり、帰ることにした。
車に乗ると、うわーんと泣き出す息子。学校に行けなかったこと、頑張れなかった自分自身が辛いんだろうなぁとは思った。
思ったけれども、私も私で余裕がなかった。心に。
あー、夏休みが終わり、またこんな日々が始まるんだなぁと暗澹たる気分だった。私も鬱々していた。
ずっと泣いている息子と家に帰った。
学校から電話がかかってきた。
写真の話だった。先生に悪気はないのはわかっている。
だけれども、私自身に余裕がなかった。泣き出しそうだった。
「写真撮影はしません。記念誌もいりません」と話していた。
(これはちょっとあとで反省している。一応、息子にも確認はして答えたけれども、息子が撮影したいならば、記念誌を欲するのならば、好きにさせてあげればいいんだから。私が答えることではなかったかもしれない。もしも、息子がそうしたいなら、そうさせてあげたいと思う。
私自身が卒業アルバムとかそういうものはいらねーと思うタイプだし、自分自身が写真を撮られたくなかった人間だけど……学校のことなんか思い出したくもない……息子がどうなのかはわからないわけだし)。
帰宅後というか、最近、体調不良だからか、熱が出て、しばらく寝込んだ(私が)。
コロナではなく、疲労による熱だろうと思う(先月も2回くらい発熱しているし、疲れると熱出るから)。
どうにも、私自身が鬱っぽい気がする^^;。いつものことだけど。
不登校問題もだけど、仕事も忙しく(にもかかわらず、休んでばかり。どうすんの)。
生きて行く力
いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
『もの思う葦』太宰治
生きて行く力…だけはあるのだけれども、何だかとっても疲れちゃっている。